田中英道★秦氏とユダヤ、八幡宮と応神天皇の謎を解く!『日本とユダヤの古代史&世界史』講演会より

田中英道★秦氏とユダヤ、八幡宮と応神天皇の謎を解く!『日本とユダヤの古代史&世界史』講演会より



次の動画はこちら:https://youtu.be/c0-icKPlnUI
★大好評につき続々重版&4刷配本中!★
田中英道×茂木誠『日本とユダヤの古代史&世界史 〜縄文・神話から続く日本建国の真実』(ワニブックス)
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企画詳細:https://wanokuni.me/posts/tanakamogi

千田会×和の国チャンネル企画 / 田中英道先生・出版記念講演会(2023年6月18日開催)より、選り抜き抜粋にてお届けいたします!
もっとよく知りたい!という方は是非本を読んでいただきたいです。図解もあってわかりやすいと評判です〜^^

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★関連動画★
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茂木誠 <もぎせかチャンネル >
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田中英道先生と語る『日本とユダヤの古代史&世界史』

#田中英道 #茂木誠 #秦氏 #応神天皇 #ユダヤ #富岡八幡宮 #神社

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  1. 坊主もね~仏教の成り立ちみたいな話になると「中国で出来た仏教が・・・」なんて事を言い出すんだよな~

  2. 東北大学名誉教授の愛宕北山こと奥津彦重の言葉です

    ・素朴な日猶同祖論や感傷的な八紘一宇のユダヤ抱擁論などは、知識不足からの生半可なユダヤ研究家の陥りやすい常とう句なのです

    ・世界観や人生観においてユダヤ人とは次元が異なり、形式的な類似性からの日猶同祖論は、歴史や民族性を正当に評価していくと全くの誤りであるといえましょう。

    ・日猶同祖論は突き詰めると人間には眼が2個あるから成立するといった類のものでしかありません

  3. はたけ 秦+け 「KE」のイメージは Kは 因果 即ち 秦氏の技 Eは 流れるの意あり 即ち 秦氏の技+流れる
    即ち 秦=畑と水の概念 水田 と解ける (笑)

  4. 朝鮮半島由来説を信じてそうな人がいるから絶望させてあげよう
    日本には書物や建物や仏像だけでなく古墳や遺跡がたくさん見つかってるんだが、朝鮮半島は全くと言っていいほどそれがない
    日本と同じレベルの文明や独立国家があったとするならば日本に匹敵する数の遺跡があるはずだがほぼ無いのが現実
    半島が好きだったら地面を掘り返して遺跡を見つけるといい、もしあるなら恐竜がいた地層より下にはないはずだからがんばれ

  5. 3年前、田中先生と長野の縄文土器を見にご一緒させていただいたことを思い出しました。GO to TRAVEL初日で、思わぬ返金に喜びました。お元気でご活躍のようで何よりです。

  6. 田中先生がこの講演で、五感あるいは六感の中で視覚を特に重要なものとして語られていることに私はとても共感いたしました。それは私が般若心経の中の『色』というものは『目が見たもの』であり、『受』というのは目以外の感覚が捉えたものだと考えているからです。w
     般若心経では五蘊の中で『色受想行識』と色が最初に出て来ますし、『色即是空 空即是色』と色を特別扱いしています。つまりそれは五感あるいは六感の中で『色』、つまり『目が見たもの』は特に重要なんだと考えていたからだろうと思います。w
     ところで、昨日、田中先生の『やはり義経はチンギス・ハーンであった』を読ませていただきまして、なるほどなあと納得させられました。しかしモンゴル大帝國の皇帝にまでなって死んだ義経の人生と田中先生や哲学者の中村天風さん、陶芸家で魅力的な絵や書も描かれている辻村史朗さんやピアニストの仲道郁代さんの人生と比べてみますと、何か虚しさ寂しさを感じます。w
     私は権力者や大金持ちの人生よりは人を喜ばせたり楽しませたりして生きる方がずっと魅力を感じますから。w

  7. 日本文明とは自然文明なんですね
    自然から生まれて自然に育まれ自然に還ってゆく。

  8. 日本の神々の最大の知恵は、民にあーしろこーしろ、これはするななど余計なことを言わないこと。
    最高神、天照大御神が日本の統治を天孫に任せた以上
    何かあれば、民でなく天孫に言う道理。
    最高神の姿勢を差し置いて、他の天津神、ましてや国津神がしゃしゃり出る道理もない。

  9. 現代日本人は縄文人とは殆ど混血していない。

    縄文文化は漢民族系chousen人の天皇一族によって滅ぼされ、縄文の若い女性は性奴隷にされ、縄文人の子孫は被差別同和部落民になった。

    ・chousenで長江の稲作民と縄文人に似た民族が混血して現代日本人と全く同じ遺伝子の日本語を話す無土器文化人になる

    ・chousenの無土器文化人(弥生人)が北九州に移民して水田農耕を始める

    ・ソウルに居た漢民族の天皇一族が北九州に移民、植民都市の伊都国を作り、日本人奴隷(生口)を青銅器・鉄と交換する奴隷貿易で稼いでいた。後漢の光武帝が贈った金印(漢委奴国王印)の「委奴」は「いと」と読む。

    ・神武東征・倭国大乱 → 天皇一族が日向・大和・丹後に天孫降臨、縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

    ・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

    ・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

    ・10世紀に沖縄へ日本人大量入植 → 沖縄の縄文勢力をジェノサイド、若い縄文女性は殺さないで性奴隷にした。

    ・10世紀に西表島・石垣島へ日本人大量入植 → 西表島・石垣島に先住していた縄文人をジェノサイド

    ▲△▽▼

    ユダヤ人(Sephardi)の Y-DNAハプログループ比率

    E1b : 19.2%(ラテン人),

    I : 11.5%(クロマニヨン人)

    J : 28.2%(セム人)

    R1b : 29.5% (ゲルマン人)

    現代日本人 Y-DNAハプログループ比率

    D1a2a–32% :以前は縄文系だと言われていたが否定された

    O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民

    O2—20%(旧表記O3):漢民族系

    C2—-6% :縄文系

    C1—-5% :縄文系

    O1b1–1%(旧表記O2a)

    O1a—1% : 長江系稲作民

    N1—-1%

    D1a,Q1–1%未満

    (2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)

    現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ

    D1a2* 81.25%: 縄文系

    D1a2a1 6.25%: 和人系

    C2 12.5%: オホーツク文化人系

    現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ

    C2 38.1%: オホーツク文化人系

    O1b2 28.6%: 長江人系

    Q 19.0% : トルコ系

    R1a 9.5% : ロシア人系

    沖縄先住民は10世紀の段階で既に日本人に征服・レイプされまくって、言葉も日本語の方言の琉球語に変わってしまった

    現代琉球人 Y-DNAハプログループ比率

    D1a2–45.1% : 縄文系

    O1b2-23.3%(旧表記O2b) :長江系稲作民

    O2—18.9%(旧表記O3):漢民族系

    C2—-1.5% :縄文系

    C1—-6.8% :縄文系

    O1b1–0.8%(旧表記O2a) :長江系稲作民

    韓国人のY-DNAハプロタイプの出現頻度

    漢民族 O2 : 43.3%

    長江人 O1:30.0%

    モンゴル系 C2: 11.3%

    現在の台湾の先住民系民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度

    O2 11.7% : 漢民族系

    O1 :80.3% : 長江系

    現在の中国の自称漢民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度

    O2 53.3% : 漢民族系

    O1 24.5% : 長江系稲作民

    C2 7.8% : モンゴル・ツングース系

    N 6.9% : トルコ系

    ハプロに付く*マークはその下のサブグループのうちのいずれかという意味であり、

    D1a2a* の中に D1a2a2a は含まれる

    ▲△▽▼

    「縄文人」では、現代日本人で多数派のD1a2a(旧D1b1)はまだ確認されていません(関連記事)。これは、現代日本人のD1a2aが弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した可能性を示唆します(関連記事)。もちろん、現時点では東日本の「縄文人」でしかYHgは確認されていないので、今後西日本の「縄文人」でD1a2aが確認される可能性は低くないでしょう。しかし現時点では、現代日本人のD1a2aが「縄文人」ではなく弥生時代以降にアジア東部大陸部から到来した集団に由来する、という想定も有力な仮説の一つとして扱われるべきだと思います。

    船泊縄文人のゲノムデータは世界各地の現代人および古代人と比較され、縄文人の遺伝的特徴がじゅうらいよりもずっと詳細に明らかになりました。

    これまで「縄文系」のYHgで詳細に分類できていた個体は全員D1b2aだったので、縄文系としては初めて確認されたD1b2bということになりそうです。いずれにしても、縄文系のYHgでは、現代日本人のYHg-Dにおいて多数派となるD1b1(32.7%、その他のD1bは6.1%)はまだ確認されていないことになります。この問題は最近取り上げましたが(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1が縄文人由来なのか、それとも弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団由来なのか判断するには、日本列島も含めてユーラシア東部の古代DNA研究の進展が必要だと思います。

    https://sicambre.seesaa.net/article/201906article_2.html

  10. 昔は、日本人は縄文人と大陸からの渡来人が混血してできたというのが定説でしたが、遺伝学は日進月歩で昔の学説はすべて否定されています。

    篠田謙一の学説の変化

    篠田謙一

    昔 「縄文人と弥生人は仲良く混血!」「虐殺はなかった!」

    今 「こっち(kankoku)に引っ張る 何かがあった・・・」

    篠田著書(2007年出版)

    「征服による融合では、基本的に(征服者側のオスの遺伝子である)Y染色体DNAの方が多く流入するのです。もし渡来人が縄文時代から続いた在来社会武力によって征服したのであれば、その時点でハプログループDは著しく頻度を減少させたでしょう。縄文・弥生移行期の状況が基本的には平和のうちに推移したと仮定しなければ説明がつきません。また日本のY染色体DNAは、日本の歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。」

    弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)

    篠田謙一「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんですね。つまり、弥生人って、混血していけば恐らく、混血する相手は、この縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置っていうのは、こちらにずれてくるはずなんですよね。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり、こっち(kankoku人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」

    シンポでは、これまで蓄積されてきた考察を根本から覆すことになるかもしれない発見も明らかにされた。

    国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示したkankoku・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。

    「この人たちが渡来したとするならば、(縄文人と)混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。(2020年記事)

    https://image.prntscr.com/image/4nIX5f21SPmeJ_Fr-7PyYw.png

    「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説

    橘玲、人類学者・篠田謙一対談(後編)2022.7.26

    「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説

    橘 篠田さんの『人類の起源』によれば、5000年くらい前、西遼河(内モンゴル自治区から東に流れる大河)の流域、cyousen半島の北のほうに雑穀農耕民がいて、その人たちの言葉が日本語やkankoku語の起源になったというのがとても興味深かったんですが、そういう理解で合っていますか?

    篠田 私たちはそう考えています。1万年前よりも新しい時代については、中国大陸でかなりの数の人骨のDNAが調べられているので、集団形成のシナリオがある程度描けるんです。その中で、いわゆる渡来系といわれる弥生人に一番近いのは、西遼河流域の人たちで、黄河流域の農耕民とは遺伝的に少し異なることがわかっています。

    橘 黄河流域というと、今でいう万里の長城の内側ですね。そこでは小麦を作っていて、西遼河の辺りはいわゆる雑穀だった。

    篠田 まあ、中国でも小麦を作り始めたのはそんなに昔ではないらしいんですが、違う種類の雑穀を作っていたんでしょうね。ただ陸続きで、西遼河も黄河も同じ農耕民ですから、全く違ったというわけではなくて、それなりに混血して、それがcyousen半島に入ったというのが今の説なんです。

     さらに誰が日本に渡来したのかっていうのは、難しい話になっています。これまではいわゆる縄文人といわれる人たちと、cyousen半島で農耕をやっていた人たちは遺伝的に全く違うと考えられてきたんですね。それがどうも、そうではなさそうだと。

     cyousen半島にも縄文人的な遺伝子があって、それを持っていた人たちが日本に入ってきたんじゃないかと。しかもその人たちが持つ縄文人の遺伝子の頻度は、今の私たちとあまり変わらなかったんじゃないかと考えています。

    橘 「日本人とは何者か」という理解が、かなり変わったんですね。

    篠田 変わりました。特に渡来人の姿は大きく変わったと言ってよいでしょう。さらに渡来人と今の私たちが同じだったら、もともと日本にいた縄文人の遺伝子は、どこに行っちゃったんだという話になります。

     両者が混血したのだとすれば、私たちは今よりも縄文人的であるはずなんですけども、そうなっていない。ですから、もっと後の時代、古墳時代までかけて、より大陸的な遺伝子を持った人たちが入ってきていたと考えざるを得なくなりました。

    橘 なるほど。西遼河にいた雑穀農耕民がcyousen半島を南下してきて、その後、中国南部で稲作をしていた農耕民が山東半島を経由してcyousen半島に入ってくる。そこで交雑が起きて、その人たちが日本に入ってきたと。

    篠田 日本で弥生時代が始まったころの人骨は、cyousen半島では見つかってないんですけども、それより前の時代や、後の三国時代(184~280年)の骨を調べると、遺伝的に種々さまざまなんです。縄文人そのものみたいな人がいたり、大陸内部から来た人もいたり。遺跡によっても違っていて。

    橘 cyousen半島というのは、ユーラシアの東のデッドエンドみたいなところがありますからね。いろいろなところから人が入ってきて、いわゆる吹きだまりのようになっていた。

    篠田 しかもそれが完全には混じり合わない状態が続いていた中で、ある集団が日本に入ってきたんだろうと考えています。

    https://diamond.jp/articles/-/306767

  11. 前方後円墳=土木技術の習得では? 水の引き込み方、角の作り方、円の作り方、階段の作り方等々

  12. 日本の風土、四季、天災。この豊かさは歳を取ると解ります。小さい島国だなどと言う人はわかっていません。

  13. 歴史を知らない、素人に毛が生えた神主や宮司の説教はやめて、学者として最高権威の田中英道教授の右でも左でもない日本人の精神性と古来から続く思想を知るべきだ。

  14. 備後国の者です。2000年前頃の南海トラフ地震で沈んだ西日本からの非難民が応神期に出戻ったという説を考察しております。八幡神社は開発銀行として機能して、古墳は灌漑設備の開発残土を利用して引き換えに失われた生態系の拠り所を還元する目論見だったと。

  15. 明治になり北九州市の八幡村に官営製鉄所を設けて以来、ヤハタ市は大きく発展しましたね。

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