小林秀一投手は、史上唯一巨人のドラフト1位を拒否したことで有名。ただアマの指導者にあるという目標がありプロ選手になると当時の規定ではなれなかった。
巨人サイドはその情報を知らずに強行指名し巨人なら来て当たり前の態度にも、、、そのためプロ入りはしなかった。
熊谷組に進み1975年スポニチ大会では優勝に貢献しMVPも受賞。8年在籍の後に母校愛知学院大の監督に就任。15年間で12回優勝。1991年には明治神宮大会で優勝。
現在は愛知学院大学准教授。今のルールだったらアマの指導者になれるんでプロ入りして巨人V10してたりと、、、妄想もwww
小林秀一 投手は 巨人 の ドラフト1位 を唯一拒否したことで有名だ。今の時代ならプロに進んでもアマの指導者になれるわけで当時もそうだったら巨人入りしてV10してたりして、、、、動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
詳しくはわかりませんが、当時の巨人と言うと湯口事件の影響も多数のドラフト拒否者が出た原因かもしれませんね。
この年のドラフトは確か湯口事件も重なって、アマ選手の巨人に対する不信感があったような気がします😢
大学時代は見ていませんが、熊谷組時代のピッチングはスピードがないように思いプロでは厳しいかなと記憶しています。実際母校の指導者になれたわけですからプロ入りしなくて正解だと思います。
4位指名迫丸選手は小林獲得の為の指名だったのかな?
それにしても金で転ばない、川上哲治氏が何を言っても信念を変えなかった小林先生はある意味凄い。
母校で監督、教員になって川上哲治氏も納得しただろう。
当時の川上監督まだ50代前半だつたけど、なんかお爺さんの印象。
リアルタイムでは知りませんが、愛知学院大学の監督が巨人のドラフト1位の指名を拒否した人だということは知っていました。
昔はプロ志望届がなかったため、大学や社会人に進む予定の選手とかを強行指名するケースがちょくちょくありましたね。
杉浦投手(日本生命)、小林投手(愛知学院大学)ときたので、ぜひ志村投手(慶應義塾大学)も取り上げてほしいです。
某投手が不審死したのもあるが、本人が本気でアマの指導者をなりたいのを巨人が見誤った感がある。
あと巨人が江川が指名出来なかったのもあるし、この頃のプロ野球の年俸は低すぎて魅力もなかったのだろう。
今のようにプロを引退した後にアマチュアに戻れたらプロ入りしてたかもしれない。
加藤初が巨人を蹴って西鉄に行ったり、必ずしも皆が巨人に行きたがってた訳ではないですね。
湯口事件が半分要因。湯口事件に対する川上の無神経なコメントと被ったのだろう。川上は軍隊でも弱いものいじめは定説。今ではv9以前にパワハラでクビですよ。ボールは止まっては見えない。嘘つきでも有名。熊本の恥=川上
小林さんはインタビューで「湯口さんの事は関係ありません」と言ってはいますが、、どうなんでしょうね。