【新刊情報】
★田中英道×茂木誠『日本とユダヤの古代史&世界史』(2023年6月9日発売 /ワニブックス)
★田中英道『[新装版]日本の宗教 自然道がつくる神道・仏教』(2023年4月5日発売 / 扶桑社)
【講演会情報】
★田中英道『神社と日本建国の謎を解き明かす!~日本とユダヤの古代史&世界史』
2023年6月18日(日)14:00〜富岡八幡宮(江東区)にて開催
https://www.kokuchpro.com/event/sendakai_137/
◆ 日本国史学会 連続講義 ◆
田中英道『「成吉思汗」の名は義経の静御前への愛から生まれた』
令和5年5月13日 日本経済大学 渋谷キャンパス
◇主催:日本国史学会
【日本国史学会よりご案内】令和5年4月1日以降の会員資格について
令和5年4月1日以降の会員資格は、令和5年度の年会費納入が必要となります。
会費納入は御入会時の年会費お支払いと同じく、連続講演会の受付での直接支払いのほか、振り込みでも可能です。
何卒よろしくお願い申し上げます。
◇田中英道ホームページ | 「美の探究者、歴史と思想を語る」
http://hidemichitanaka.net/
後世の日本人は大変困るだろうな!
昭和初期から少なくとも令和まで、三大大馬鹿新聞(朝毎東)の大嘘捏造切り取り
記事に混乱する。
【人数に応じた土地】
大化の土地分配は 戸籍に基づき 家族の人数に応じてなされた
大きい部族にはその相続地を大きくし 小さい部族には その相続地を小さくしなければならない
(旧約聖書 民数記 26章54節)
モンゴル帝国がジンギスカンは義経だとわかると欧米の人達にとってはやばいので、隠したいのが解るけれど、ルネッサンスは義統が創ったのは間違いない事実です。その当時はモンゴル帝国が支配していたのは間違いない事実!ルネッサンスは田中先生のいうのは間違いない事実です。
当時は、ヨーロッパは荒廃していた惨めなヨーロッパ大陸で国同志が取り合いへし合い最低の時代をむかえていた貧しい大陸で、モンゴル帝国が席巻していた時代でジェノバや、ベネチア、ミラノ、トリノも全て絹織物で一躍文芸復興のきっかけを創ったのは間違いない事実、それで義経は道徳を伝えてルネッサンスの礎担ったのは間違いない事実ですが先生の言うとおりでモンゴル人の顔をした人達が政治経済を司った時代出会ったのは疑いのないことなのだと分かります!先生は徹底的にこの時代を覆してください、私達も大いに期待をしています!
『ユダヤ人の起源』
歴史はどのように 創作されたのか
著者 シュロモー・サンド
シュロモー・サンド氏は 1946年に オーストリアのリンツで生まれる その後 両親とともに イスラエルに移住
現在 テルアビブ大学名誉教授
義経が大陸へ渡ったと考える事は夢があって面白いのですが、
アイヌを引っ張り出して義経と結び付ける話は、いただけません。
「いわゆるアイヌ」の先祖は、
アムール川流域で悪さをしていた盗賊団等であり、
それを追い払ったのがモンゴル軍です。
義経が北海道へ渡って「いわゆるアイヌ」の先祖へ影響を与えたとなると、
アムール川流域で「いわゆるアイヌ」の先祖を追い払ったモンゴル軍の事象と
時系列が合致しません。
そもそも、
「いわゆる北海道のアイヌ」などと言う種族は、
明治期のアホな学者(バチェラーや東大言語学者)による過ちであり、
本来は存在しないモノです。
それを、
戦後の日本国内の共産主義者共が
日本分断の工作に利用し、
現在に至っています。
室町時代に北海道に出現した「いわゆるアイヌ」の先祖は
和語が通じない北部の唐子(からこ)と東部の日ノ本(ひのもと)の事であり、
アイヌ族など言う1つの部族は初めから存在しません。
「いわゆるアイヌ」の一部族が義経神社を祀っていた事実はありますが、
それは和人との混血と文化交流が進んだ江戸時代以降に定着したモノ
ではないでしょうか?
アイヌなどと言う本来は存在しない集団の名称を持ち出す事は、
日本国の歴史を捏造する事につながると思いますので、
ヤメた方がよろしいかと思います。
東北大学が有る宮城県
の北西部の栗駒山地域に、
義経の身代わりの首を差し出した一族の話が存在しますが、
その文献の年号は…合わない様です。
先生の言う中世のジオットは私は知っています、まだルネッサンスの始まりと言うか当時はモンゴル帝国の頃ですね、ジオットの絵を知っていますその当時は宗教画が殆んどで先生の言う、ローマ大学や、ジェノバ大学に招かれて大学の美術館と言うか図書館にあったのですね?日本人の顔をしたモンゴル系が国を納めていた絵があったのは間違いない事実ですね、私達はジオットの絵を見ましたがはとんどイタリア人の顔をしか見ていませんと言うことは証拠を摑まれたらやばいので完全に隠したのは間違いない事実と言えますね、先生に感謝致します!義経がルネッサンスを作った証拠を先生は直接見たのですね?ありがとうございます!
完全に証拠を隠したのは間違いないですね!
日本人が凄い人種と言われる事がやばい為隠し通したいのでは?ルネッサンスは間違いない事実で義経が造ったとわかるとイタリアとしては不味いと思ったのだね!当時はモンゴル帝国がヨーロッパを席巻していた時代です!間違いなく政治経済全てにおいて義経が支配をし文芸復興を起こしたのは間違いない事実だと私も思います!田中先生に徹底的追及をお願いします!頑張って下さい!
小学生が一人で電車に乗ってるのはよく見かけますね。都心の私立小学生🎒ですね。治安がよくないとできない光景ですね。やはり、日本人の優秀さが海外から評価されてきてますね。ユダヤ人が古代に日本に来たように、日本から海外にいって、活躍した人もいたでしょうね!
田中先生 いつも貴重なお話ありがとうございます。
先生も仰られていた「成吉思汗」は、静御前のもう一つの歌の末尾を表しているというお話にとても共感します。
(先生が34分頃に仰られていることを聞き逃してコメントしていましたが、どなたかにご指摘頂き修正します。ご指摘頂いた方ありがとうございました。私は粗忽者なのです。お許しください。)
「しづや しづ しずの苧環(おだまき)繰り返し 昔を今に なすよしもがな」
最後の句「なすよしもがな」は「成(なす)吉(よし)思([お]も)汗(か[が]な)」と読めます。
最近万葉集を原文で眺めているのですが、万葉集に慣れた目で見ると、とても自然に読むことができます。
万葉集の一首目にあるとされる「閑(kan)」の字の末尾に母音を添加して「かな(kana)」と読ませるという説があります。
「家吉閑」を「いえきかな」と読ませる説です(家告奈の誤記とする説もありますが)。
岩波文庫の『原文万葉集(上)』の解説に載っています。
「汗」は漢音が「kan」ですが、呉音では「gan」です。
「思」を訓読み「(お)も」で、かつ意味を離れて助詞の一部「も(がな)」と読ませる例は見つけられませんでした。
けれど意味を離れて訓読みを助詞の音に当てる例では助詞の連続「に」+「は」を「庭」の字で当てている例が目立ちます。
このような例に慣れていれば、日本人の語感で素直に「なすよしもがな」と読めると思います。
世界帝国の創始者が、昔を今に戻す方法があったら良いのに、と言う意味の名前だったなんて、とても心揺さぶられますね。
母親がはたらくと、子供の教育はおろそかになりますね。
私は田中英道先生の歴史学の大ファンですので、『やはり義経はチンギス・ハンになった』という本が出版されるのを今から心待ちにしております。w
高木彬光「成吉思汗の秘密」