日本国史学会 連続講義 ◆田中英道「ネストリウス派蘇我氏の聖徳太子殺害を読み解く」
令和4年7月9日 日本経済大学 渋谷キャンパス
◇主催:日本国史学会
【日本国史学会よりご案内】令和4年4月1日以降の会員資格について
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会費納入は御入会時の年会費お支払いと同じく、連続講演会の受付での直接支払いのほか、振り込みでも可能です。
◇田中英道ホームページ | 「美の探究者、歴史と思想を語る」
http://hidemichitanaka.net/
聖徳太子の母の名は
「マヒト」
ではなく
「ハシヒト」
と
読んで下さい。
蘇我氏の名が我蘇り
だから
ネストリウスでありえるのですか?
蘇我氏の埴輪がユダヤ人風体なのですか?
では「犠牲」と言う漢字も彼らが拵えたのですか?
年代から考えると大乗仏教になりたての仏教勢力がキリスト教風ネーミングで成りすましで日本へ渡来した一派ではなかったのではありませんか?
古代日本へはその時既にユダヤ教及び聖トマスのキリスト教が入り、定住していたはずですがネストリウス派は随分あとから渡来する。ネストリウス派が蘇我氏だと言うのは馴染めない。
蘇我氏が「我、蘇る」などとは考えてもみませんでした! たしかに謎の多い名前であり氏族ですね。
しかし世の歴史学者はなんでこうイデオロギーに染まってるんでしょうね。とにかく稲作文化は朝鮮から来たのだとか、渡来人も大陸と朝鮮からと決めつけています。さらに都合が悪いのか、"聖徳太子"を消し去りたいような妙な動きもあります。とても学問をやってる人たちの態度ではないですね。
田中先生の問題提起というか新説が、やもするとトンデモ論やオカルト扱いされてるのが残念です。これを本気で分析してみようという歴史学者はいないのでしょうか。よく考えたら、聖徳太子の逸話とキリストとの妙な符合は偶然では片付けられないですよね。
我蘇る、、彼等は肉体が滅び魂が次もユダヤ人となれるなどと思っているのでしょうか。選民意識と多少の優秀さが愚かしい呪い、いや思い込みを作るのでしょうか。
ひょっとするとエルサレムを捨てたユダヤが日本を祖国として理想郷を築こうとしたのじゃないかな。
この国の古墳時代の基礎を成したのは、始皇帝無き後、項羽に敗れた秦国の末裔だ。その後、朝鮮からの不法移民にクーデターで政権転覆された。それが大化事件だ。関西地方の巨大な陵は、波斯人の墓だ。嘗ては、金字塔があったが、不法移民に破壊された。劉邦に負けた徴賤軍だろう。王の遺体が安置されていたが、此奴らに遺棄されている。この国の本当の名前は、秦だ。俺達も秦国民だ。不法移民の徴賤人とは、格が違う。江戸を占拠している一家も徴賤系なので、俺達とは全く関係がない。徳川の所有地なので、即刻退去すべきだ。鬼畜米英及び猶太などの奴隷階級出身者共は、即刻国外追放にすべきである。
地頭が悪い文系の学者が本読みすぎると田中英道みたいにパンクして訳わからんファンタジーをいい出す。
この男の作り話を論破しようと思ったら簡単だけどな🤣
大山もポンちゃんだけど田中英道も言葉遊びとディープステートとハニワ頼みじゃねぇ〜か。
俺はお前らみたいに本頼みじゃ無くて映像を見せてもらってるんだよ。
蘇我氏でなく、中臣が殺害したが正解らしいです。
それで我々はこの闇を暴かなくてはならないので、先生もその視点で頑張ってください。
山岳信仰や山伏などの存在に対して、ユダヤ人との観点から考察してみることが急務ですね。
目から鱗のお話しをスマホで拝聴出来る事は感謝しております。このテーマは興味深く何度も暗証するくらいに何度も拝聴してます。
この時代から多民族とのトラブル発生で今に至ってると思いますと人の心は変化が無いですね!先生の変わらないご研究にすごみを感じております。何時までもお元気で頑張って下さい‼️
スマホから知った事ですが聖徳太子の頃今の霊感宗教に似た事が(揚羽蝶の幼虫青虫)を信じさせ品物を巻き上げてた事を太子が知り悲しんで仏閣をお造りに成られたとの事ですが?
1400年以前からテロリスト達が居た事、当時から隠れキリシタンが居た事を想像してます。
学生の頃、友人と田舎道を歩きながら法隆寺を訪問した。帰り道、何故か疲れてきって旅館に帰った事がある。
帰りのバスでうたた寝をしたが、問題は夜中の事。なかなか寝付かれず、やっと微睡に襲われた瞬間、夢のなかで
後手から火の手が上がり、一斉に大きく騒がしい時の声が鳴り響き襲われる事態に投げ込まれ、驚き飛び起きた。
その後眠れず一晩過ごし、明け方宿泊していた奈良の旅館を抜け出し近くの池の周りを散歩したのを憶えている。
翌日は旅行の予定を止めて急遽東京に帰ってしまった。友人は一人残され旅行を続けていたが数日して帰宅し
たという。
法隆寺は何故かただならぬ気が漂っていたのかもしれない。
その後、梅原猛氏は法隆寺を怨念封じの寺と断じていたが、その様なものかと感心していた。しかし、今日の講義を拝聴
して何かが氷解した様な気がする
我、蘇るは裏を反すと他人も蘇る❗だから他人を殺害しても蘇るから肯定的な教えと捉えて宜しいでしょうか?
田中英道「ネストリウス派蘇我氏の聖徳太子殺害を読み解く」日本国史学会 連続講義 令和4年7月9日 日本経済大学(2022/07/09)
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Hidemichi Tanaka
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ネロは日本へ止まる
4 分前
キリスト教ではマクダラのマリアを悪女としているのに対して、日本の皇室と言うよりも帝の歴史では聖徳太子の寺である斑鳩の宮(法隆寺)の「斑」は訓読みの日本語で「まだら」。マクダラとマダラ。
聖徳太子が崩御された際に妃(妻)である橘大郎女が、天寿国(あの世)での太子の様子を布に刺繍で表現した物を「曼荼羅繍帳」マンダラ繍帳と呼びます。
マクダラとマンダラ。
賀茂神社の祭りである「葵祭り」。
欧米ではキリストの事を「AO」と表現します。葵とアオ。
仮に、聖徳太子を若草山の若草であるとすれば若草を訓読みで「ジャク ソウ」となりソウが息子の意味ソンだとすれば太子はジャクの息子となり、太子の父親である用明天皇がジャクとなり、用明天皇の妃である「穴穂部間人」が聖母マリアとなります。アンナ穂部間人と聖母マリア。
キリスト教と日本の聖徳太子には共通点が異様に多いと言うよりも、どちらかが真似たと言えるレベルです。
キリストは紀元前後であるのに対し聖徳太子は西暦600年前後だから、日本の聖徳太子が真似をしたと考えるのは単純な発想だと思います。
西洋では1582年にそれまでのカエサル歴(シーサー歴)からグレゴリオ歴に変更していますが、その際に10日間分の誤差を修正していますが、10日は1280年分の誤差でしかありません。
そして何よりも注目すべきはこの1582年にカエサル歴(シーサー歴)からグレゴリオ歴(グレー)に変更された事です。
シーサーからグレー。
ユダヤ人似のハニワが大昔にロシアに住んでたアイヌ人の写真の人にソックリで笑う。東の果てはカムチャッカ半島で日出るがロシアとかプーチンが言ってるのも笑う。
田中先生、ありがとうございました。
これからも、一層ご活躍されることを願っております。
当時、漢字は音韻。すが、そがに意味があるとも思われる。太子の筆頭舎人はネストリウス教を伝えたと考えられている秦氏である。御説のネストリウス蘇我が太子を殺害?かなりの証拠に基づいて論理構築をしないと、蘇我、厩戸皇子、延いては藤原を解説するのは困難。
モンゴルから元がイタリアに入ったことと、今回の蘇我氏のことは、教科書を改めなければいけませんが、勝った者たちに歪められたのでしょう。人生の中で、石川は、蘇我石川山田麻呂と言われて蘇我氏と聞いていますが、本当にうっとうしい、石川コーチ、石川牛乳屋、石川理容店、皆フリーメーソン?怪しすぎます。今回の安倍さんの暗殺も事前に知っていましたよ?なんでなの?古代から何やねん!
聖徳太子一家の悲劇は、東洋の中でも異質だと言われるのもわかります。西洋で起こるような、西洋型悲劇というか、ひたすら不気味に思います・・
田中先生、非常に興味深いお話ばかりで勉強になりました。
ことに片岡山の飢人のお話は初めて知りましたが、正しくイエスの復活そっくりで、驚きました。
まあ、日本の文化は多重構造でしょうね。それとやはり『中空構造』なんですよね。
日本の本質が【中空】であるため、外国文化を【同化吸収】出来るんですよね!
京都の松尾大社の数百メートル南側にある月読神社には、聖徳太子のお社がありました。確か、本殿に向かって右側に聖徳太子のお社、さらにその右側に神功皇后の逸話を伝える月延石。そこの月読神社の境内に聖徳太子が祀られているのは、聖徳太子が月読命を崇敬していたためらしいです。
また、本殿に向かって左側には御船社があり、天鳥船命が祀られているらしいですが、私の場合はニギハヤヒを祀った祠のような感じを受けました。
拝殿の依代がずっと細やかに振動していて、その日の空模様と併せて、生き生きと働いている見えない力が感じられたひとときでした。
境内を後にして振り返ると、鳥居の紙垂がまるで合図でも送っているかのようにswingしていたので、バイバーイ😊と手を振ってから帰りました。
キリスト教信徒が、自分をイエスキリストに例えるなんてことはありえいですよ。聖書を読んだらわかる。
田中さん、とうとう反ユダヤ思想のために、蘇我氏をユダヤ人・原始キリスト教信徒に仕立上げようとしはじまった、って感じる。
蘇我氏は仏教でなくて景教(東方キリスト教)??
驚くしかないな。「弓月君」(応神天皇時代に渡来したイリ河沿の弓月国出身、今のウィグル出身)、その子孫の秦氏(聖徳太子の側近になったのが秦河勝)は景教だったと思うけど(論拠は、秦氏が建立した四天王寺・四箇院や広隆寺)、盛んに仏教を広めようとした蘇我氏が景教(東方キリスト教)とは、とうてい思えない。秦氏と蘇我氏は反目してるよ。田中さん、なんか仏教正義論、仏教擁護のために、責任転嫁というかキリスト教悪玉歴史観をデッチ上げようとしてるとしか思えないね。
田中「蘇我氏はネストリウス派です。」
牽強付会、論理の飛躍です。大乗仏教の歴史を全く無知なのか、それとも隠しているか、ですね。
そもそも大乗仏教(物部氏と争った蘇我氏が強く支持した)は、インドで、当時のインド仏教界が、トマスの影響を受けてキリスト教の教義を真似たものだから、日本に渡った大乗仏教がキリスト教(原始キリスト教)に似ていることを無視してる。田中さんの論理はダブルトリックです。
聖徳太子に「厩」など呼称したのは秦氏(秦河勝)だと思います。平安京を整備したのは蘇我氏ではなく、秦氏です。
物部守屋(モリヤ)の由来が諏訪大社???
爆笑。
諏訪大社の祭神はモリヤ山なことは間違いないが、もともと「モリヤ(山)」という名前はイスラエルの聖地(旧約聖書、アブラム、イサク、燔祭の出来事が起きた山の名前)のことです。蘇我氏との戦いに敗れた物部氏の嫡男が逃げたのが諏訪の地です・
物部氏こそが「ユダヤ教または原始キリスト教の信徒で弓月君以前に渡来してるユダヤ人。」)
いつのまにか、田中さん、秦氏の宗教=蘇我氏の宗教説に論理転化してるが、おかしいですよ。その論拠はまったく曖昧。
そもそも大乗仏教は、インドで、当時のインド仏教界が、トマスの影響を受けてキリスト教の教義を真似たものだから、日本に渡った大乗仏教がキリスト教(原始キリスト教)に似ていることを無視してる。田中さんの論理はダブルトリックです。
そもそも、マリアを神としての崇拝対象として認めないキリスト教(ネストリウス派を含むプロテスタント思想)の者が、「我は蘇ったイエス・キリストだ。」なんていうことは、ありえません。「蘇(黄泉がえり)」の信仰(使徒信条)はありますが、「こうなると信ずる」は「過去完了」ではありません。
そもそも法隆寺は、聖徳太子一族が蘇我馬子によって滅ぼされた後、蘇我氏によってつくられた寺ですよ。法隆寺に奉納されてる仏像等の歴史記述、経緯は真実かどうか極めて怪しいです。日本書紀の17条憲法すら、道慈という仏教原理主義者によって改竄されたという学説は有力です。念のために言えば、法隆寺は、聖徳太子一族や秦氏が建立した寺ではありません。法隆寺は、山背大兄皇子一族を、蘇我氏が滅ぼした後、「聖徳太子の仏教を広める遺志に従って、仏法を広めるために建立した。」という似非歴史観で、山背大兄皇子一族を滅ぼした場所に「呪い」を鎮めるために建立したもの。聖徳太子は、そもそも、中臣御乞子から「古神道(造化三神崇拝)」を学んでいて仏教なんかではありませんでした。つまり、中にある斑鳩寺とは違って、法隆寺は聖徳太子一族が蘇我氏によって滅ぼされた後、建立された寺です。釈迦三尊像建立がどうして「景教」なんですかね?
田中さん「古墳、埴輪にユダヤ人が出てくるから、それが蘇我氏だ。」という論拠は示していない。
「弓月君」(古墳時代、応神天皇時代に渡来)の歴史、後の聖徳太子の側近・秦河勝の経緯から言って、
「古墳(応神天皇以降)時代、埴輪にユダヤ人が出てくるから、それこそが秦氏だ。」という論拠のほうがはるかに強いです。
物部守屋などこそが反仏教思想で、「モリヤ」を名前に使っていた「古神道(造化三神崇拝)」派なわけで、蘇我氏と戦って敗れたとはいえ、景教(使徒トマスの伝道によって派生していた原始キリスト教の一派)」か又は、それ以前に渡来したユダヤ教一族という可能性が高いです。
「失われた10支族」の時代と神武天皇東征時代は重なる。
神武天皇時代(「天孫降臨」直後時代)とは、世界史の観点から言えば、北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされ、北イスラエルの「10支族」がチリジリになって、一部はシルクロードなどを通って、東方に逃れ「失われた10支族」になったことは最近、実証されています。現在、イスラエルのアミシャブ機関は、紀元前にユダヤ教の「失われた10支族の一部」が日本にも到達していた、という説をとっています。
日本書紀での神武天皇東征の話でも、神武天皇と、祖先が同じ(「長髄彦」)一族が既に大和の地に住んでいたことが明らかにされています。
「日本の天皇家の16菊花紋章は、シュメール文明やエジフト、イスラエル等の中近東地帯での古代王国での王家を表す紋章と同じ」などとともに、「日本の皇室の祖先は、北イスラエルの「失われた10支族」の王家一族の後裔」という説の根拠になってる旧約聖書の記述
新共同訳・旧約聖書、イザヤ書(紀元前6~7世紀、アッシリア侵攻によって「失われた10支族」が発生した時代の預言者イザヤの書)24章14節~16節より
彼らは声をあげ、主の威光を喜び歌い
海から叫び声をあげる。
それゆえ、あなたたちは東の地でも主を尊び
海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。
地の果てから、歌声が聞こえる。
「主に従う人に誉あれ」と。
田中さんは、「ユダヤ教」「キリスト教」の根本教義について無知だと思いますね。ユダヤ教は「観音像」とか「如来像」などの、とにかく「像」を礼拝することなどの「偶像崇拝」は絶対禁止です。キリスト教(特に北欧系プロテスタント、東方キリスト教)にしても「キリスト像(絵)」などは飾ったりはしますが礼拝は忌嫌います。でも、四天王寺の弥勒菩薩像の指印は東方キリスト教で見られる「三位一体」を表す指印のキリスト像なのですが、やはり「偶像」なのでキリスト教徒の場合は崇拝、礼拝しないのが普通です。秦氏の勧めで聖徳太子が建立した四天王寺はまごうことなく(四箇院制度は、シルクロード一帯の各都市や中国でも見られる景教教会にある慈善事業所です。)景教の寺院だと思います。仏教徒(蘇我氏等)の建立した寺には、まず「慈善事業所は無い」と言って過言ではないと思います。ただし、東大寺は光明皇后様が景教のふし(ライ病患者への治療の逸話)があって景教の四箇院制度の風習があると思います。
蘇我氏が釈迦三尊像を崇拝したから景教だったなんて、いうのはもはや、頓珍漢というか空想的な牽強付会以外の何物でもありません。というか、それこそが大乗仏教が、インドでトマスが原始キリスト教を伝道していた布教の広がりに圧倒され、それを恐れた当時のインド仏教界が、キリスト教の教義を多くを「パチッタ」ことの証左なのです。「三位一体の神」の教義のキリスト教伝道の影響を受けてインド(大乗)仏教が、キリスト教の「三位一体」教義を偶像化した自爆的証拠とさえいえます。
現在の(戦前に国民が「特高」などによって、様々な人権蹂躙を受けた経験から)戦後制定された英米法体系の日本国憲法での「思想信教の自由」の保障制度は、英国の16世紀以降の清教徒革命(人権闘争)で醸成されたものが源流で、英国では「身体の自由」(ヘイビアスコーパス1679)に遅れること10年で制定された「THE ACT OF TOLERATION.(1689、英国国教の立場から見た「寛容の令」和訳は「思想信教の自由令」)が源です。しかし、その1000年以上も前に同じ法制度思想で人権保障制度を制定した人が日本にいました。それが、誰あろう聖徳太子です。聖徳太子は幼小期においては「仏教」は渡来していませんでした。太子は中臣御子(中臣鎌足の実父)から「古神道(造化三神崇拝)」を学んでいました。青年期(欽明天皇時代)においては、物部氏(神道派)と蘇我氏(仏教派)の宗教争いによる血生臭い争いを見て育ちました。そうして欽明天皇は、蘇我稲目の二人の娘(片塩姫、小姐君)を正室にしていたので、蘇我稲目は天皇に対して義父なわけで仏教派は強い有利な立場で、守屋氏₍神道派)は不利な立場だった。しかし、聖徳太子が摂政となってからは(景教の秦氏を側近にし、四天王寺の景教特有の文化である四箇院のようなキリスト教の慈善事業思想事業に代表されるように景教とは強い親和性を持ち)、また血なまぐさい宗教争いを忌嫌い、17条憲法を制定しです。17条憲法は、今の全国民向け憲法とは違い、官僚向けでした。更に、聖徳太子は斑鳩寺(学問所)を建立して、官僚らには儒教、仏教、神道を公平に学ぶようにさせました。
憲法17条の主旨は「一、和が大切」。太子が説いた「和」は、つまりは「官僚は権力行使にあたっては、宗教争い、宗教差別するな。」です。つまり、「二、篤敬三法、其三法者、儒、仏、神也」(篤く三法を敬え、三法とは儒・仏・神なり)(伊澤宮、千代旧事本紀)です。ところが、仏教原理主義者(道慈)らは、それを納得しませんでした。それで、日本書紀(の写本)の執筆者だった道慈らは二条を仏教布教に都合いいように改竄したのです。「二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。」(篤く三宝を敬え。三宝とは仏、法、僧なり。)とです。欽明天皇崩御後、皇位継承をめぐって蘇我氏(片塩姫)、守屋氏(小姉君、穴穂部皇子)の争いが激化しました。蘇我氏(片塩姫派、仏教派)は片塩姫の子を用命天皇として担ぎ即位させました。しかし用命天皇は病弱で間もなく崩御すると更に権力闘争は激化、窮地に陥った蘇我馬子は奇策に打って出て、守屋氏派(小姉君派、神道派、穴穂部皇子)を分裂させるために、小姉君派の泊瀬部皇子(後、崇峻天皇)を擁立しました。そして、片塩姫から、次の皇位継承権者である穴穂部皇子暗殺する許可を受けて穴穂部皇字を暗殺したのです。そうして、後ろ盾がなくなった守屋氏は、孤立し滅んだのです。た頃津力を旧視力失い何牛B
蘇我氏は、物部氏側(神道派、小姉姫派)を内部分裂させる策略のために崇峻天皇を擁立しておいて、用済みとなるとまたもや崇峻天皇をも暗殺しました。そうして、キリスト教に強い親和性を持った聖徳太子一族もと暗殺したと思います。
訂正:四天王寺の弥勒菩薩→広隆寺の弥勒菩薩
「古墳(応神天皇以降)時代、埴輪にユダヤ人が出てきてるが、物部氏や秦氏こそが、ユダヤ人だったという仮説のほうがすっきりする。ユダヤ人だったからこそ、「モリヤ」なんていう名前を持つ。
秦氏の「ハタ」の呼称は「機織」からきてる。「弓月国(イリ河沿い、東トルキスタン、ウィグル地帯)出身で、シルクロード地帯の養蚕技術を持って伝えた一族。
そうして物部氏は紀元前に渡来したユダヤ系人種(皇室に遅れて渡来した「失われた10支族」の一派、アッシリアに捕囚された一派だったから鉄器・武器技術の文化を以ていた。他の国と違って日本は青銅器技術と鉄器技術の渡来がほぼ同時に起きている。
)
物部(外交、防衛、経産業大臣)ー秦氏(機織部、服装部)(ハタオリ―ハットリーニシコオリ・錦織)のような関係。
仏教界は聖徳太子が、あまりに景教徒の秦氏と親密になったので、危機感や妬みもって聖徳太子、物部氏、秦氏を抹殺した。
そもそも大乗仏教っていうのは、紀元1世紀後半、インドで伝道していた、イエス・キリストの12使徒の一人・トマスの伝道の勢い、原始キリスト教の布教、伝搬の勢いを恐れた当時のインド仏教界が、従来の仏教教義ではたちうちできないことを悟って、トマスの伝道するキリスト教の教義などを真似て、できあがったものです。
田中さんの蘇我氏景教説は、反ユダヤ、反キリスト教の思想を正当化するための「ダブルトリック」論説だと思う。
田中さんの話し聞いてると、まず言えることは田中さんは、キリスト教(聖典は旧約、新約の聖書)がわかってない、って感じる。
「ネストリウス派蘇我氏」:完全なデッチアゲ、と思います。蘇我氏は大乗仏教原理主義派。
聖徳太子の側近だった秦氏(秦河勝)は景教だった蓋然性は極めて濃厚。秦氏が建立した広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の指印(三位一体を表示する)は東方キリスト教(景教)の典型です。
田中「釈迦とキリストが似てる」「蘇我氏は景教だったから、聖徳太子を景教徒にしようとしたが、太子が仏教徒になると言って拒んだから暗殺した。」ダブルトリックの典型です。
真相:聖徳太子は幼少期、藤原(中臣)鎌足の実父、神祇伯・中臣御乞子から古神道(宗源道という「造化三神」崇拝、キリスト教の「父、子、聖霊」という三位一体の教義を想起させる思想)を教育されていました。一方、蘇我氏は熱烈な仏教原理主義で、古神道の物部氏を滅亡させた後、仏教原理主義の道慈を使って日本書紀(現存は写本である)の十七条憲法の二条の記述を改竄させた蓋然性が濃厚です。つまり、「二、篤く三宝を敬え。三宝とは仏、法、僧なり」という仏教原理主義による改竄です。「乙巳の変」のとき蘇我氏は、重要な国史書の書庫に火を放ち、大規模な焚書をやっています。
中臣(藤原)鎌足にとっての「乙巳の変」は、神道派の物部氏滅亡後、「古神道」の神祇伯(宮中神事を司る長官)だった父・中臣御乞子が教育した聖徳太子を、蘇我氏が暗殺、更には、山背大兄皇子など聖徳太子一族を皆殺しにして、更に秦氏(秦河勝)らを抹殺したことに対しての復讐劇だったと思います。
一方、幸いにも、乙巳の変で行われた蘇我氏の「焚書」から逃れ、永年、隠されていた古書が伊雜宮の保管されていました。こちらは『日本書紀』のような写本でなく原本です。それが『先代旧事本紀』(物部氏派の歴史観で書かれていた歴史書。江戸時代末期までは、仏教界主導で「偽書」とされていたが明治時代になって、学会からは、「前文のところだけが、後世、書き加えられたもので、それ以外は実書(原本)」とされている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ronpyo/tetugakunote/gisyoco.html
『先代旧事本紀』での十七条憲法の、二条は、「篤く三法を敬え。三法とは、儒、仏、紳なり」で、聖徳太子の斑鳩の寺建立の趣旨に合致します。そして写本でなく原本です。
仏教原理主義の蘇我氏は、物部氏を滅ぼした後、聖徳太子を仏教徒にしようとしたが、太子が斑鳩の寺を建立して儒教、仏教、神道を公平に扱う教育したり、17条憲法などでも「敬神の詔」を発し、更には、仏教原理主義の蘇我氏の意思に反して、弓月国(現在の、イリ川沿い、ウィグル地帯)出身の景教信徒の秦氏の思想に強く親和性を発揮しました。四天王寺の四箇院の慈善事業思想は景教そのものです。四天王寺建立には、数々の神社仏閣建立をなしていた財力のあった秦氏が関与してますが、蘇我氏は関与してません。その秦氏、聖徳太子の思想は、後世、東大寺建立時、特に光明皇后様の慈善事業思想にまで影響しています。つまりは聖徳太子は、自らの信仰は「三つ子の魂」のまま古神道を堅守(摂政・聖徳太子発布の「敬神の詔」参照)して仏教徒になることを拒んだから、蘇我氏によって暗殺された、のだと思います。
大乗仏教は、キリスト教の「永遠のイエスキリスト」とか「よみがえり」「救い主」の教義をパチった(「永遠の仏陀」とか「よみがえり」「救世主」)面があるのです。
法隆寺に関して:
更に言えば、ユダヤ教やキリスト教の信徒(特にプロテスタント)は、人間をキリストに例えることはしません。キリスト像をつくったり絵画にしたりはしますが、偶像崇拝を進めることはありえません。
聖徳太子が、秦氏の影響で「キリスト(『厩戸王』崇拝)になっていたから(キリスト教徒になっていたから)、仏教の蘇我氏から見て、皮肉を込めて「『厩戸王』の皇子」と読んだ可能性はあるでしょう。
諏訪大社は、聖徳太子一族が蘇我氏によって皆殺されたとき秦河勝の息子が諏訪に逃避してる。「弓月君」の子孫の秦氏こそが景教だったことは疑う余地はありません。
そもそも、法隆寺は蘇我氏が建立した寺。景教なら、どうして「仏教を広めるために建立した。」などという歴史をつくるのか?
田中:「あんなに暗殺を繰り返すのは日本人(の性質)じゃない。」
過去の歴史において、暗殺犯行者を隠匿する指導者暗殺は、日本仏教界(仏教原理主義者)の常套手段ではないでしょうか?
安倍晋三さん暗殺でも、「統一教」だけを問題にして暗殺の真相を全く追及せず、あたかも正当化するかのように情報操作してるのは仏教界主導のマスゴミです。事件前後の県警、奈良市の対応も、おかしいが、奈良市を主導してるのは仏教界。
今度の安倍晋三暗殺事件は、奈良という関係もあって聖徳太子暗殺事件を思いおこさせる事件でしたが、
更に思い起こせば、キリスト教組織と関係した権力者を「法華経」を聖典とする仏教界ぐるみで暗殺正当化運動・情報操作という面において、戦前の2.26事件を髣髴として思いおこさせるものって感じました。
時は、昭和初期、「八紘一宇」(日蓮宗系の宗教組織「国柱会」を創設した田中智学が『日本書紀』の神武天皇即位での記述から恣意的解釈で造語したもの。「天皇の下、全世界の民は一家である。」という趣旨の誇大妄想的な、いあわば現代用語なら日本版、日蓮宗版グローバリズム)思想が日本列島を覆いつくしていたとき、若くしてヘボン塾(明治大学の前身)に入塾したことのある高橋是清らを暗殺した北一輝(本人は日蓮宗系だが、ダブルスタンダード日本版ナチズム「(日蓮思想、仏教原理主義の)国体と純正社会主義・つまり唯物史観の共産主義」)思想の青年将校らが起こした事件を思いおこさせます。
今日、そもそも、「斑鳩寺」の呼称を「法隆寺」と同一の宗教思想であるかように説明してる仏教界は、まるで「背乗り」手法だと思います。斑鳩寺は「仏教寺院」ではありません。また法隆寺は「聖徳宗」なる宗派を自称してるが、法隆寺は聖徳太子が建立した寺でもありません。法隆寺境内の中に存在する(法隆寺境内に囲まれた)斑鳩寺は、法隆寺建立以前に、摂政となった聖徳太子が、儒教、仏教、神道を官僚らに教育するために(宗教差別の権力行使をしないように。宗教争いを止め「和」を大切にするように教育するために)建立した学問所なのです。そうして聖徳太子一族が皆殺しされた後、その皆殺しの忌まわしい場所に「仏教を広めるため」という目的で建立されたものとされているのが現存の法隆寺です。しかし「聖徳太子は仏教徒ではなかった。」ことは、色々な歴史的事象から明々白々です。
田中さんの宗教史考察、宗教施設などの解釈、主張で表されている観点での基本的な欠陥
一、ユダヤ教、(キリスト教、イスラム教)の教義では極めて初歩的な信仰姿勢として偶像崇拝は厳しく戒められていることについて無知、あるいは完全無視してること。
二、ユダヤ教、(キリスト教、イスラム教)の教義では「愚像」の定義も厳しくなされていること。(理念、歴史などの偶像化も忌嫌います。「三位一体」という理念も偶像化することは忌嫌います。)
◎ユダヤ教、(キリスト教、イスラム教)の立場では法隆寺の釈迦三尊像は愚像でしかなく、かのような偶像を作成や礼拝することは、非常に忌嫌います。
◎法隆寺の釈迦三尊像は、インドにおいて、イエス・キリストの12使徒の一人、トマス(原始キリスト教)の伝道力がとても強く改宗者が続出した時代、インド仏教界が危機感を持ち、キリスト教の各教義を真似たことがありますが、その中でも「三位一体の神」の教義も真似、日本に渡った大乗仏教界が、それを「三位一体の釈迦」を偶像化したものと考えられます。仏教徒は礼拝しますが、キリスト教信徒なら礼拝はしません。
◎まして、マリア信仰すら拒絶した景教(東方キリスト教、「ネストリウス派」の呼称は蔑称)信徒が、キリスト像以外の偶像を作成したり礼拝することなどは考えられません。景教(東方キリスト教)は、キリスト像に限っては、描画を設置することは多くみられます。例えば、景教徒の秦氏が建立した広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、東方キリスト教の諸教会に見られる画像などによくみられる指印と同じで、「三位一体」を表す指印のキリスト像を表していると思えます。
◎教派によって多少違いはるにせよ、16世紀以降の宗教改革以降のプロテスタント教会では、イエス・キリスト像の場合は作成や礼拝することは稀にありますが、多くの教会では像の設置や礼拝は避けています。
救世観音像、薬師如来像などなどの仏像は、ユダヤ教(キリスト教、イスラム教)の観点からすれば「理念、思想が偶像化されたもの」でしかなく、よって各宗派、各教派で偶像崇拝を厳しく戒められている以上、「像」への礼拝はしません。
大乗仏教といえども、根本的には「慈善の業の実行」の思想は、まずほとんどありません。もし、法隆寺が景教信徒によって建立されたものなら、キリスト教思想の特徴として、四天王寺の「四箇院」のように、弱者、困窮者、病弱者に対する慈善の施設を設置しているはずですが、慈善事業施設はありません。仮に「法隆寺は仏教徒を飾粧した景教徒の蘇我氏が景教を興隆させるために建立した寺」だったと仮定しても、慈善事業施設は法隆寺にはないのが現実なのです。その現実は何を証しているのか?それが仏教思想の特徴だからです。
禅宗の開祖である達磨大師は、実は、インドで没したトマスだった(実際、インドにはトマスの墓が存在してる。)という学説があります。実際、インドにはトマスの墓が存在してます。禅宗で、頻繁に唱えられる般若心経の「色即是空」(物質的現象は一切空)は旧約聖書の伝道の書にある、ソロモン王の言葉とされる「空の空、一切は空」に似ていますね。
聖徳太子一族が皆殺しされた場所に建立された法隆寺が、たしか宮澤政権(宏池会政権)の働きで「オメデタク」世界遺産に登録され、政府や国民は「オメデタク」、燥いで歓喜しました。
ところが、それ以来、日本は円高産業空洞化デフレ構造に陥り、世界で唯一、まったく経済成長しない国になり、世界中の国が経済成長し労働者の賃金は倍以上になったのに、日本の労働者の賃金は30年間も、全く増えない国になってしまってます。
田中さん、まさか「宮沢喜一とか岸田首相、宏池会も景教、ネストリウス派だった。」なんてことい出すんじゃないでしょうね。
よもや、田中さん「浄土宗の安倍を殺害した連中はネストリウス派だ」って言いたいのか?
田中英道さんも会員になっている「チャネル桜」の面々は、最近、とくにく反ユダヤ思想が浮き彫りになっています。
チャネル桜で重鎮とされる加瀬英明さんもやはり反ユダヤ教、反ユダヤ人思想の言説をもっぱらにして、戦前ナチスドイツのヒトラー政権にユダヤ人ホロコーストをさせるために資金提供してきた「黒い貴族」の国際金融機関デルバンコの兄貴分サボイ家騎士団の日本支部長だった人、であることは、知っておいたほうがいいいと思います。
素晴らしいです!1751年、英E.バーグはギリシャ以来のプロポーション偏重→崇高を
初めて評価。遡る1100年前、日本で覚醒していた訳ですね。
この流れでいくと、ユダヤ人がキリスト教ひろげたんだな。とするとイエス・キリストもいなかったのか。ユダヤ人の創作か。洗脳のための。蘇我キリスト教ユダヤ人と百済中臣藤原チャイナ朝鮮の争い。宗教とは民族。