今年、NHKで2編ほど義経=成吉思汗説の番組を見た。二つとも最後は否定論で締め括っていた。理由の一つを心理学者の肩書きを持つ女性が説明するに、「奥州各地に残る伝承や遺物は"当時の流行り物を旅芸人一座が各地で演じた結果として広まったもの"」と断定。二つ目は何処かの私立大教授が言うに「ジンギスカンは誰が母親で父親は誰かということが家系図によって明らかに示されてる」というもの。しかし、番組内で「間宮林蔵が北方探検で大陸の村で義経伝承と遺物を見聞している」ことと、旅芸人一座の影響説とは話が合わない(旅の一座説だったら、そもそも北海道でも未開の地なのに回るのはおかしい。反対に、もっと客の入る西の方に散見されてもいい筈だが・・)。二つ目の家系図根拠説だが、実は家系図ほど当てにならないものはない。斯く言う我が家にもそれらしい古びたものがあった。○○の城主✕✕信濃守入道時宗が私の先祖と書いておった。後に、昔はそんな記録は幾らでも手に入れることが(偽造)できる物だった。昔は、年代が合わないと思っていたが、よく見てみると不思議と年代が合っている。歴史的な間宮林蔵まで関係してる所が興味をそそられます。
ジンギスカンや当時のモンゴル帝国の風習は日本と非常に似てる源氏の風習や朝廷の風習や距離の図り方など弓矢や刀剣も非常に日本的当時の日本とモンゴルはほとんど交流は無かったのに何故ジンギスカンのモンゴル帝国はここまで源氏や朝廷の風習と似てたのか ここまでの一致は偶然とは言えないほど似てる義経は天皇と近かったし朝廷の文化もよく知ってる モンゴル帝国は地理的に近い中国じゃなくて日本の風習と非常に似てたのはたまたまだとは言えないですね
田中英道先生が『密約』という表現を好まれるのは、痛みを伴い(縄文期の日本の理想からは隔たりがあるという意味で)残念な展開の中にも、大切な何かを護ろうとした当事者の知恵と愛情のようなものを見ていらっしゃるから、でしょうか🙂 源頼朝の逸話からは本当に人間くささが伝わってくる気がしていましたので、このお話もなるほどと思えました。 義経はある意味、天狗に導かれて満州ないしモンゴルに渡ったのかなと思ったりしました。なんとなく、弁慶も一緒に行っていそうな。。。
これは絶対にほんまやわ。秦は大陸の帝国やったから、帝国の連中が大挙して来日してその子孫が再び大陸にもどって帝国をつくっただけの話、義経は祖先の話を聞いてたとすると動機はある。遊牧民がこのカリスマについてっただけ。諸藩のDNAが冒険好きのイケイケやから必然的にそうなる。秦がユダヤ人の帝国なら、モンゴル帝国もユダヤ人の帝国だった、ありえる話。 残虐なイメージしかなかったけど、日本的な統治をしたならすごい。遊牧民が突如として帝国をつくるのはおかしすぎ。 ロシア人はこの真相を知っとると思うわ。だいたい相撲がヘブライ語やし。
静御前は、平泉には来ていません。途中で別れて、捕まり、鎌倉に送られました。平泉では、義経の正室は別の女性です。義経伝承は東北各地にあり、各地で地元の女性とHしているので、東北には義経の末裔がたくさんいる。
質問ですやはり 義経は、女性だったのではないでしょうか?根拠は7つ① 義経は幼名【遮那王】と言いますが? この〜「王」とつけるた付け方は、当時は【内親王】つまりは女性の子供につけた 特徴的な付け方です。 ②次は、義経と弁慶が出会ったという橋の上でのエピソードから。【義経は女性ものの華麗な上着を着て、笛を吹いて現れた。」優雅な文化を好んだ傾向がある。 ③ は、②と、この後の【8そう飛び】の際、義経は、尋常ではない身軽さを見せて攻撃を交わしています。男性は筋肉質で細身に見えても重いですが、女性ならば身軽であったことが納得できます。 ④ 頼朝の挙兵時、義経は頼朝に会いに 鎌倉まで徒歩で向かっていますが、戦場を女性の身で往来するのはとても危険。男装=武装姿で強行した方が 身の安全を確保できました。 ⑤義経の似顔絵と言われる絵画細身で色自、髭も男性にしては薄く 生え際に産毛のような生え方えかたが見られ、毛髪の質が女性に多い、細い毛髪であった特徴と、髭も男性にしては比較的薄い。という特徴があります。 ⑥義経は奥州平泉で追い詰められた後モンゴルへ渡り チンギスハンとなっていますがチンギスハンは190近い 大男だったとか…モンゴルのモンゴロイドの男性の骨格は いかつく、そのような大男に、はっそうとびができる身軽さなく、むしろ大男であった弁慶と体躯の特徴は近い。身軽だったという義経の特徴とは明らかに 体型が異なります。 ⑦ 平泉で 追い詰められた義経は【男性】とばかり思いこまれていたので女性の姿に戻って戦場を逃走した。とすれば、誰も気づきません。手配書、捜索対象は【男性だった】ので、女性の姿に戻った義経であれば、【女性の衣服】で、戦場を脱出することが可能。また、戦場から【消えた】と、表現されるのも無理がなく 逃亡しているので【遺体がない】根拠としても、成立します。 以上です。根拠なく、いっているわけではありません。どうでしょうか?
義経の下にいながら、自分で考えて行動していた様子が伝わっている常陸坊海尊、この方は、義経の人となりも頼朝の胸の内もよくわかっていて、義経と弁慶を鎌倉幕府の視界から逃がすのを手伝い、海尊自身は謎の語り部として東日本のあちこちに出没しながら長生きしたのだろうと思います。
モンゴル帝国が世界史の始まりとの説もありますね。元=源?テムジン=天神は、面白いと思います。世界には日本人が作った帝国の伝説が他にもありますね。インカ帝国は王族が日本人だったとの王家の伝承があります。チチカカ湖=父母湖。仁義が重んじられ、民が尊重された点、自由自治の連邦国家制が共通します。
世界の四代発明は全て、日本の先祖である縄文人或いは倭人即ち和人と言われています、それだけ日本人は世界一歴史が古い民族だったのです!世界中に倭人が造った遺跡が続々発見されてます!未来は日本の文化世界に影響を与えた事が次々と出てくると思います。先生これからも日本の残した功績を追及して頂きたいと思って止みません!
琉球王国が源氏筋論争が出ていて、アイヌとDNAが似てるんです。北海道のアイヌ問題だが、樺太経由でモンゴルと出入りルートがあったと考えられているんですよ。実際に、日本人もアイヌと琉球王国のDN Aが混ざっているから、侵略話は陰謀論だと思います。マイナス30度まで下がる地域で真冬に住みたくないのが人間だから、移動は普通だと思います。マンモスは代表例ですね。地政国が日本にいいがかりばかりつけてきて、日本人によるアイヌいじめまで事実に変えてきてるんですよ。元弘も同じ事言われてますから、もしかしたら、同じ原理でジェノサイド対象にしようとするこれこそ陰謀説という事かもしれないですね。 北海道や樺太の地名はアイヌ語の変化版ですが、事実を正しく伝える方法が巧みだし、皆が理解できるようにするのではなく、正しい探究心がある人に与えられた宝探しだと思います。大陸で生きていく難しさで生き残るための知恵も変わるから、やはり混ざる事はできないですね。今の皇室はGHQによって、無理矢理混ざろうとして完全なる失敗だと思います。 動画言論ありがとうございます。
モンゴルに似ていた父だから、奈良、北海道、での繋がりは納得できます。羊、天幕生活、ジンギスカン鍋とかだから、イスラエル国民と似てますね。美人が多いという点で、ユダヤ系は整形否定派だと思うんですが、エジプト文化には整形とメイク、が発展していて、入れ墨はどこの文化なんですか?メイクを映えさせようとしたら、入れ墨のように目の周りの整形は簡単にでしていたはずです。日本の皇室には整形はタブ-です。元寇は、人肉を喰らい、拉致、人身売買がされていた記録を聞いた事があり、たしかに、アフリカや中東には聖書の記録にもありますが、フィリスティア系は残虐であり、淘汰されているようですが、ハザ-ル系ユダヤ人の存在を公表されてきているのは、何かの根拠があるのでしょうか。ユダヤ人同士とか反ユダヤ人にたいする世界的な虐待や偏見が強いかもしれないですね。山賊が混ざっているような気がします。いつも、動画言論ありがとうございます。
人気youtuberの男の子達がやる成吉思汗イコール源義経説は、完全なる全否定ばかりです。やはり日本の歴史を書き換えようとするしている勢力は多いなぁ、と感じガッカリしていたところ、こちらの動画を見つけて嬉しく思っております。先生のお名前はユダヤ人の埴輪の本を何年か前に購入してからずっと気にかけておりました。先日はよく見ている神社チャンネルにもお出ましになられていてご縁を感じていたところでした。 そもそも辮髪は日本人の髪型からではないのか?と思っております。北海道と大陸には昔から行き来があり、そこに義経の前からも日本人がいたのではないか?そこで女真族の間で辮髪のような頭が流行り出したのではないか。それだけ皆が辮髪にし出したのも、女真族の中に影響力のある日本人がいたのではないか?と思っています。
先生のお話を聞くにつれ、日本人はどれほど貶められているのかと考えざるを得ません。どの国に生まれても自国を誇りに思うのは当然の事。自分は日本が滅びることは世界の終わりと考えています。歴史は良い事も悪い事も真実しか聞きたくない。論破することだけが目的の議論などより、誠実な論考のお話というのは聞いていてとても面白いし楽しいです
28年前ヨーロッパ一周旅行したとき、なぜか、古い絵は、女性が東洋的な顔をしていることを不思議に思った。その終わりの時期の境界は、1520年くらいだということにも気が付きました。これで、話が繋がり、腑に落ちました。
成吉思汗、義経説は200%間違い無いです、先生の言っていることは、本当に私達に凡人にも分かりやすく伝わって来て本当に有り難うございます!私も先生の言う通りルネッサンスの始まりも東アジアの物があちこちに出て来て本当に日本は素晴らしい人種である事が伺えて成りません!もっともっと先生にはそれを更に真実を確信を突き詰めてくれる事を楽しみにしています!よろしくお願いします。
間違いない事実です!成吉思汗は間違いなく義経が源義経が訛って成吉思汗説が正しく字のごとく。当時はモンゴル人は言葉が全く無かったことが実証されてます。義経ほどの寛容な知的な戦上手で馬を乗って弓を持って走りながら弓を射る無敵な人物はモンゴル人を上手く操り部下として可成りの戦友たちを上手に手下にして世界征服していく行くところ行くところ相手をうまく味方にしてゆくところは、いかにも鎌倉武士を彷彿とさせる所です。
Y染色体を調べる限り、世界で一番子種をバラまいたと言われるジンギスカン。 日本人の特殊な遺伝子傾向と「DNAのハプログループ」の分布を考えれば、この説の真偽は簡単に推測できるはず。 義経がジンギスカンなら、彼は渡来人だった事になりそうだ。なんにせよ、元々の日本人とは違うよね。
こじつけ感が半端ない💧こんなのが罷り通るのならば、卑弥呼も神武天皇も聖徳太子も織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も東郷平八郎も松下幸之助もイチローも大谷翔平も、皆実はモンゴル人だった、という話も作れてしまう😅
文明は、アジア、オリエントから西へ歴史や、文化、伝統、技術、農業、漁業、鉄の刀剣、四大発明、銅鐸、綿類、香辛料全てアジアから遅れて出てきたヨーロッパ系に伝わったのは、間違いない事実!嘗ての、モンゴル帝国でも、白人種は何も刃向かうこともできなかった民なのです、下手するとイギリスまで行っていたら白人種はこの世に居なかったかも知れないのです。ルネッサンスはアジア人が興したようなもの!綿類、織物、陶器、ガラス細工、金銀、ヒスイ、シルク細工、文芸復興の役割をしたのがアジア人なのです。ルネッサンスはアジア人が興したようなもの!当時のヨーロッパは貧しい乏しい遅れた哀れな民に、光を与えたのがアジア人なのです。田中先生の講義は本当に解りやすいその通りの説明なのです!
今年、NHKで2編ほど義経=成吉思汗説の番組を見た。二つとも最後は否定論で締め括っていた。理由の一つを心理学者の肩書きを持つ女性が説明するに、「奥州各地に残る伝承や遺物は"当時の流行り物を旅芸人一座が各地で演じた結果として広まったもの"」と断定。二つ目は何処かの私立大教授が言うに「ジンギスカンは誰が母親で父親は誰かということが家系図によって明らかに示されてる」というもの。
しかし、番組内で「間宮林蔵が北方探検で大陸の村で義経伝承と遺物を見聞している」ことと、旅芸人一座の影響説とは話が合わない(旅の一座説だったら、そもそも北海道でも未開の地なのに回るのはおかしい。反対に、もっと客の入る西の方に散見されてもいい筈だが・・)。二つ目の家系図根拠説だが、実は家系図ほど当てにならないものはない。斯く言う我が家にもそれらしい古びたものがあった。○○の城主✕✕信濃守入道時宗が私の先祖と書いておった。後に、昔はそんな記録は幾らでも手に入れることが(偽造)できる物だった。
昔は、年代が合わないと思っていたが、よく見てみると不思議と年代が合っている。歴史的な間宮林蔵まで関係してる所が興味をそそられます。
ジンギスカンや当時のモンゴル帝国の風習は日本と非常に似てる
源氏の風習や朝廷の風習や距離の図り方など弓矢や刀剣も非常に日本的
当時の日本とモンゴルはほとんど交流は無かったのに何故ジンギスカンのモンゴル帝国は
ここまで源氏や朝廷の風習と似てたのか ここまでの一致は偶然とは言えないほど似てる
義経は天皇と近かったし朝廷の文化もよく知ってる モンゴル帝国は地理的に近い中国じゃなくて
日本の風習と非常に似てたのはたまたまだとは言えないですね
田中英道さんが、さらなる研究をされることを、望みます。
仮に義経がテムジンならYAP遺伝子が大陸にも残っているのでは無いでしょうか?
与太話もいいとこ。 よくまあ大真面目にやるもんだ。 そして仮にそれが本当だったとしても日本の文化分目歴史とはたぶんなんの関係もないことだ
田中英道先生が『密約』という表現を好まれるのは、痛みを伴い(縄文期の日本の理想からは隔たりがあるという意味で)残念な展開の中にも、大切な何かを護ろうとした当事者の知恵と愛情のようなものを見ていらっしゃるから、でしょうか🙂
源頼朝の逸話からは本当に人間くささが伝わってくる気がしていましたので、このお話もなるほどと思えました。
義経はある意味、天狗に導かれて満州ないしモンゴルに渡ったのかなと思ったりしました。なんとなく、弁慶も一緒に行っていそうな。。。
これは絶対にほんまやわ。秦は大陸の帝国やったから、帝国の連中が大挙して来日してその子孫が再び大陸にもどって帝国をつくっただけの話、義経は祖先の話を聞いてたとすると動機はある。遊牧民がこのカリスマについてっただけ。諸藩のDNAが冒険好きのイケイケやから必然的にそうなる。秦がユダヤ人の帝国なら、モンゴル帝国もユダヤ人の帝国だった、ありえる話。 残虐なイメージしかなかったけど、日本的な統治をしたならすごい。遊牧民が突如として帝国をつくるのはおかしすぎ。 ロシア人はこの真相を知っとると思うわ。だいたい相撲がヘブライ語やし。
Y染色体ハプロタイプが違うのでは?
みんなネタって分かって楽しんでるのにこの爺さんだけガチで陰謀論信じ込んでて草
こんな奴が学者名乗ってるとか…
他動画見たら当然のようにネトウヨだし
静御前は、平泉には来ていません。途中で別れて、捕まり、鎌倉に送られました。平泉では、義経の正室は別の女性です。
義経伝承は東北各地にあり、各地で地元の女性とHしているので、東北には義経の末裔がたくさんいる。
義経は日本語を話し、モンゴル人はモンゴル語を話す。高名な学者が言語を軽視してはいけません。当時は日蒙辞書もない。
※相手が文明人なら万次郎の例もあるけど、相手がモンゴルだともう無理でしょ。
質問です
やはり 義経は、女性だったのではないでしょうか?
根拠は7つ
① 義経は幼名【遮那王】と言いますが? この〜「王」とつけるた付け方は、当時は【内親王】
つまりは女性の子供につけた 特徴的な付け方です。
②次は、義経と弁慶が出会ったという橋の上でのエピソードから。
【義経は女性ものの華麗な上着を着て、笛を吹いて現れた。」
優雅な文化を好んだ傾向がある。
③ は、②と、この後の【8そう飛び】の際、義経は、尋常ではない身軽さを見せて攻撃を交わしています。
男性は筋肉質で細身に見えても重いですが、女性ならば身軽であったことが納得できます。
④ 頼朝の挙兵時、義経は頼朝に会いに 鎌倉まで徒歩で向かっていますが、戦場を女性の身で往来するのは
とても危険。男装=武装姿で強行した方が 身の安全を確保できました。
⑤義経の似顔絵と言われる絵画
細身で色自、髭も男性にしては薄く 生え際に産毛のような生え方えかたが見られ、毛髪の質が
女性に多い、細い毛髪であった特徴と、髭も男性にしては比較的薄い。という特徴があります。
⑥
義経は奥州平泉で追い詰められた後モンゴルへ渡り チンギスハンとなっていますが
チンギスハンは190近い 大男だったとか…
モンゴルのモンゴロイドの男性の骨格は いかつく、そのような大男に、はっそうとびができる身軽さなく、
むしろ大男であった弁慶と体躯の特徴は近い。身軽だったという義経の特徴とは明らかに 体型が異なります。
⑦ 平泉で 追い詰められた義経は【男性】とばかり思いこまれていたので
女性の姿に戻って戦場を逃走した。とすれば、誰も気づきません。手配書、捜索対象は【男性だった】ので、
女性の姿に戻った義経であれば、【女性の衣服】で、戦場を脱出することが可能。また、戦場から【消えた】と、
表現されるのも無理がなく 逃亡しているので【遺体がない】根拠としても、成立します。
以上です。
根拠なく、いっているわけではありません。
どうでしょうか?
義経の下にいながら、自分で考えて行動していた様子が伝わっている常陸坊海尊、この方は、義経の人となりも頼朝の胸の内もよくわかっていて、義経と弁慶を鎌倉幕府の視界から逃がすのを手伝い、海尊自身は謎の語り部として東日本のあちこちに出没しながら長生きしたのだろうと思います。
モンゴル帝国が世界史の始まりとの説もありますね。元=源?テムジン=天神は、面白いと思います。世界には日本人が作った帝国の伝説が他にもありますね。インカ帝国は王族が日本人だったとの王家の伝承があります。チチカカ湖=父母湖。仁義が重んじられ、民が尊重された点、自由自治の連邦国家制が共通します。
世界の四代発明は全て、日本の先祖である縄文人或いは倭人即ち和人と言われています、それだけ日本人は世界一歴史が古い民族だったのです!世界中に倭人が造った遺跡が続々発見されてます!未来は日本の文化世界に影響を与えた事が次々と出てくると思います。先生これからも日本の残した功績を追及して頂きたいと思って止みません!
ユダヤ人も元々、黄色人種だったと聞いてます!
琉球王国が源氏筋論争が出ていて、アイヌとDNAが似てるんです。
北海道のアイヌ問題だが、樺太経由でモンゴルと出入りルートがあったと考えられているんですよ。
実際に、日本人もアイヌと琉球王国のDN Aが混ざっているから、侵略話は陰謀論だと思います。
マイナス30度まで下がる地域で真冬に住みたくないのが人間だから、移動は普通だと思います。
マンモスは代表例ですね。
地政国が日本にいいがかりばかりつけてきて、日本人によるアイヌいじめまで事実
に変えてきてるんですよ。
元弘も同じ事言われてますから、もしかしたら、同じ原理でジェノサイド対象にしようとするこれこそ陰謀説という事かもしれないですね。
北海道や樺太の地名はアイヌ語の変化版ですが、事実を正しく伝える方法が巧みだし、皆が理解できるようにするのではなく、正しい探究心がある人に与えられた宝探しだと思います。
大陸で生きていく難しさで生き残るための知恵も変わるから、やはり混ざる事はできないですね。
今の皇室はGHQによって、無理矢理混ざろうとして完全なる失敗だと思います。
動画言論ありがとうございます。
モンゴルに似ていた父だから、奈良、北海道、での繋がりは納得できます。
羊、天幕生活、ジンギスカン鍋とかだから、イスラエル国民と似てますね。
美人が多いという点で、ユダヤ系は整形否定派だと思うんですが、エジプト文化には整形とメイク、が発展していて、入れ墨はどこの文化なんですか?
メイクを映えさせようとしたら、入れ墨のように目の周りの整形は簡単にでしていたはずです。
日本の皇室には整形はタブ-です。
元寇は、人肉を喰らい、拉致、人身売買がされていた記録を聞いた事があり、たしかに、アフリカや中東には聖書の記録にもありますが、フィリスティア系は残虐であり、淘汰されているようですが、ハザ-ル系ユダヤ人の存在を公表されてきているのは、何かの根拠があるのでしょうか。
ユダヤ人同士とか反ユダヤ人にたいする世界的な虐待や偏見が強いかもしれないですね。
山賊が混ざっているような気がします。
いつも、動画言論ありがとうございます。
人気youtuberの男の子達がやる成吉思汗イコール源義経説は、完全なる全否定ばかりです。やはり日本の歴史を書き換えようとするしている勢力は多いなぁ、と感じガッカリしていたところ、こちらの動画を見つけて嬉しく思っております。
先生のお名前はユダヤ人の埴輪の本を何年か前に購入してからずっと気にかけておりました。先日はよく見ている神社チャンネルにもお出ましになられていてご縁を感じていたところでした。
そもそも辮髪は日本人の髪型からではないのか?と思っております。北海道と大陸には昔から行き来があり、そこに義経の前からも日本人がいたのではないか?そこで女真族の間で辮髪のような頭が流行り出したのではないか。それだけ皆が辮髪にし出したのも、女真族の中に影響力のある日本人がいたのではないか?と思っています。
先生のお話を聞くにつれ、日本人はどれほど貶められているのかと考えざるを得ません。どの国に生まれても自国を誇りに思うのは当然の事。自分は日本が滅びることは世界の終わりと考えています。歴史は良い事も悪い事も真実しか聞きたくない。論破することだけが目的の議論などより、誠実な論考のお話というのは聞いていてとても面白いし楽しいです
義経→平泉→黄金郷→東方見聞録→フビライ→ジンギスカン という繋がりに、なぜ、今まで気づかなかったんだろう?テムジン←天神、ジンギスカン←源義経の向こうの読み方、というのも今まで気づきませんでした。
28年前ヨーロッパ一周旅行したとき、なぜか、古い絵は、女性が東洋的な顔をしていることを不思議に思った。その終わりの時期の境界は、1520年くらいだということにも気が付きました。これで、話が繋がり、腑に落ちました。
霊能者から聞いた話。⇒『義経は東北から大陸に渡り陸路ジンギスハンを訪ね接見が許され無念の内を伝えた処、チンギスハンが鎌倉幕府を倒すことに協力した』との事。
北海道には、沢山の義経の神社があるよね
戦前、日本で流布されていた言論・言説を取り戻し、再検討する活動の一環でしょうか?
GHQと日本の協力者により西欧に不利な歴史観が削除されてしまったため。
成吉思汗、義経説は200%間違い無いです、先生の言っていることは、本当に私達に凡人にも分かりやすく伝わって来て本当に有り難うございます!私も先生の言う通りルネッサンスの始まりも東アジアの物があちこちに出て来て本当に日本は素晴らしい人種である事が伺えて成りません!もっともっと先生にはそれを更に真実を確信を突き詰めてくれる事を楽しみにしています!よろしくお願いします。
間違いない事実です!成吉思汗は間違いなく義経が源義経が訛って成吉思汗説が正しく字のごとく。当時はモンゴル人は言葉が全く無かったことが実証されてます。義経ほどの寛容な知的な戦上手で馬を乗って弓を持って走りながら弓を射る無敵な人物はモンゴル人を上手く操り部下として可成りの戦友たちを上手に手下にして世界征服していく行くところ行くところ相手をうまく味方にしてゆくところは、いかにも鎌倉武士を彷彿とさせる所です。
先生のお話しはロマンがあります!
Y染色体を調べる限り、世界で一番子種をバラまいたと言われるジンギスカン。
日本人の特殊な遺伝子傾向と「DNAのハプログループ」の分布を考えれば、この説の真偽は簡単に推測できるはず。
義経がジンギスカンなら、彼は渡来人だった事になりそうだ。なんにせよ、元々の日本人とは違うよね。
私はこれまで源義経=ジンギスカン説などというものは全く空想でしかないと思っていたのですが、この田中英道さんの説明をお聞きして、なるほど面白いなあと思ってしまいました。事実は小説よりも奇なりですね。w
チンギスカーンの子孫のDNAはC系統 義経とは全く関係ないって結論出てるぞ
こじつけ感が半端ない💧
こんなのが罷り通るのならば、
卑弥呼も神武天皇も聖徳太子も
織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も
東郷平八郎も松下幸之助もイチローも大谷翔平も、皆実はモンゴル人だった、という話も作れてしまう😅
文明は、アジア、オリエントから西へ歴史や、文化、伝統、技術、農業、漁業、鉄の刀剣、四大発明、銅鐸、綿類、香辛料全てアジアから遅れて出てきたヨーロッパ系に伝わったのは、間違いない事実!嘗ての、モンゴル帝国でも、白人種は何も刃向かうこともできなかった民なのです、下手するとイギリスまで行っていたら白人種はこの世に居なかったかも知れないのです。ルネッサンスはアジア人が興したようなもの!綿類、織物、陶器、ガラス細工、金銀、ヒスイ、シルク細工、文芸復興の役割をしたのがアジア人なのです。ルネッサンスはアジア人が興したようなもの!当時のヨーロッパは貧しい乏しい遅れた哀れな民に、光を与えたのがアジア人なのです。田中先生の講義は本当に解りやすいその通りの説明なのです!