ジャンボ尾崎 通算100勝達成インタビュー

ジャンボ尾崎 通算100勝達成インタビュー



ジャンボ尾崎 通算100勝達成インタビュー

[音楽] 25年前入り8勝利を上げた思い出の コース [拍手] 小崎正選手がプロ通100勝の医療を達成 しまし [拍手] たその勝を達成したばかり試合を得て今 鹿児島にいらっしゃいます小崎正選手と 中継がつがっています崎さんおめでとう ございます100おとございますござ ありがとうもう最高のジャンボスマイルで あまり今日はスマイルなかったよ も非常にいい表情であ本当ええあの とにかく一生した場所でね100勝目を飾 るっていうのはやっぱジャンボさんらしい んじゃないでしょうかそうねまあなんて いうの運命っていうかねうん自分の運動の 強さうん他の人間でなかなかできないこと をね自分でやってるっていうことはやっぱ 実感してるね全くその通りでございます今 のお気持ちを一言で言うと今はねま自分 自身ではねあんまりなんていうのかな勝 ってのは意識してゴルフをこう追求してき たわけじゃないんだけどはいでもやっぱり ね不安の皆さんま周囲の人たちがねやっぱ これはすごいことだっていうことでねもう ちょっとプレッシャーを感じすぎてたんだ けど まあでも1番いい時に優勝できて良かった ですそうですねこの後ですねすぐえ100 勝を振り返ってお話を伺いたいと思います どうぞよろしくお願いいたしますはいどう もお願いしますえこんばんはサデスポーツ 原達ですこんばんは北男ですさあ今日は スタジオにもう1人ビッグなゲストをお 迎えしておりますご紹介しましょうJ リーグの得点王メルディ川崎の三浦和選手 ですこんばんはこんばんはもう帽子がです ね決まってるんですよねこれが本当にまか Jリーグあのお疲れさんでしたお疲れ様 ですえあのしかしサッカーはまだまだ休め ないようですねそうですねまだこれから ですですねえこの後ワールドカップに向け てのお話も今日合わせてえお伺いしたいと 思いますどうぞよろしくお願いいします よろしくお願いしますさそれでは早速プロ ゴルフから参りましょう小崎正選手日本初 のプロ通さ100勝達成です舞台は小崎 選手がプロデビューして1勝目を上げた 思い出のコース宮崎 ですジさん徳島から終に来ました頑張って ください時折り雨が降る中小崎の大記録を 目前にギャラリーは2万人近くに 膨れ上がりました [拍手] サダで追う2位のトムワトソンと弟の直道 小崎と同じ組 ですワトソンに2に迫られた小崎4番の ロングホール昨日に続いて飛ばへの こだわりトオ狙いウッドで積極的に攻め ます感じながらかけながらやっぱりやって いくそしてその中で栄を勝ち るっていうことがプロの本質だと思うしね 2つ目のロングホール7番ウッドで今度は 見事2オンに成功し ますイーグルは逃しましたがララバーディ トーナメントの目標だった2桁の通 ガンダーに乗せワトソンに4をつけ ます昨日まで3日間バーディの13番林に グリーンを狙いますがバンカーに捕まり ます 40yd顎が高いバンカーショットはまた もバンカー へ後半3つのボギーを叩きスコアを落とし ますしかし崎を追う 直道ワトソンの2人も難しいコースを攻略 できずにスコアを落とし崎を楽にします 勝負に出たら流れを技で呼び込むのが大崎 15番のアプローチ ですすい ね小崎サダをつけたまま最終18番へ25 年前プロ1勝目を上げた思い出のグリーン で100勝目のウイニングパットです [拍手] ただ単にすごいだけ本当おめでとう [拍手] ありがとう改めて本当におめでとうござい ますおめでとうございますどうもえま1日 厳しい表情で回られてたんですがあの18 番のフェアウェでやっと笑顔が出ましたね そううんでも今日はコンディション ちょっと難しかったしうんうんだ今年から ちょっとコースを改造してねうんうんま 例年よりもより難しくなってるから なかなかあのバーディていう声がね聞こえ てこないんだよねあうんうんましかしあの はレインウェアを着ながらラウンドで ジャンボさんは半袖でねそうたねえあの辺 はやっぱりなんかこう燃えてるものがあっ たんでしょうかねうんだから13番のあの 優しいホールでね自分が母をやったでしょ はいだから自分で自分の首を閉めてるって いうねことをやっぱり感じてあこれじゃ いけないっていうことでねやっぱりこう シャツを脱いでねうんうん頑張っていこ うってそれだけですよやっぱ僕は非常に 印象的でしたねあのウイニングパッドの 瞬間どんなお気持ちでしたうーまあなんて 言うのかな勝負する人間とってみれば できるだけ楽な貸し方はしたいんだよね うんだからあの去年昨年とすごく劇的な 貸し方をしてま不安の人のね感動を呼んで いただいてえますごいトーナメントだっ たっていうことを言えるんだけどでも今年 の場合はいずれにしてももう100勝って の達成しなきゃいけないしこの3連勝は かかってるしねうんだからそういった意味 じゃもっとも冷静に自分をやっていけと うんうんだから あんまりトイはねまとりあえず勝つために はね あの自分をちょっと殺さなきゃいけない なっていうことがねちょっと出してしまっ たような気がするんだけどねましかしそれ にしても20年以上ねナンバーワンの座で その勝ち続けて100勝これはどういう 気持ちでしょううんま僕の人生にはなんて いうのかなゴルしかないし自分がその ゴルフの中で現役としてねやっていけるか どうかっていうことを常に呪文自としてる ような人生であるしねだからうん別にそれ がどうだこうだっていうことは自分であま 感じないわけうんうんなるほど今ゴルフ しかないとおっしゃいましたえそれでは ここで小崎さんのえプロゴルファへの決意 から100勝への第一歩となる初優勝まで をVTRで振り返りますどうぞ 徳島県の支長小崎正選手が生まれた町 です野球少年だった小崎は昭和39年甲子 園で故郷の大声援を受け ます海南高校のエース大崎は春の選抜優勝 投手に輝き翌年プロ野球の西鉄ライオンズ に 入団当時の監督は中西太さんでした 小崎は僕の印象としては物静かなち遠慮 がちなというね今でもそういうとこある でしょうましかしこう表面優しそうなあれ けどやっぱ真の強えものあったでしょう ね小崎投手は巨人の大定春さんと対戦した こともありますが目が出ずにゼ勝同期入団 のライバル池永正明投手が新人王を獲得し たのとは対象的でした池永君はこれもう 小さいけど全てをもう自分からアピール するタまその中で隠されるとところで身を 取るということでファームにおりました もんねだからそういう池なの差を自分で 感じれば感じるほどもっと自分に生かす ものがないのかなっていうようなもうそう いう風なさ欲求不満の気持ちがずっと 溜め込まれたわけでしょうんうんうんそれ をゴルフってものが出会ってあこれだこれ は自分の全てを活かせるもんであ るっていう悩み抜いた小崎は趣味で覚えた ゴルフで生活していく決意を固め3年間 限りでプロ野球のユニフォームを脱ぎ千葉 県のゴルフ場に就職し ますそこで出会った林吉郎プロの元で猛 練習に励みます1番最あった時にね顔を 付きはいいし体はいいしねいや分体こんな いい顔してんのと思って練習所上がれと いうことでねお客さんが打ちっぱなしに 散らばったボールを遊めてねそういうの やってたんですよたヘロやらされたり一緒 に草刈やらされたりねやっぱ苦労してます よ プロテスに1位で合格し昭和45年に デビュー翌年の日本プロゴルフ選手権で初 優勝舞台は駆も今日100勝を達成した コース小崎24歳の時でし た若いジャンボさんはねプロ野球会の先輩 でもあるわけですよそうですねでまゴルフ 会では勝されましたがあれを野球にね ゴルフやらずにをやってたらえ難ししてた と思います か非常にくだらない質問なんですがうんで もやっぱり人間ってのはなんていうのかな あのねそれぞれ 自分の合ってるものってのはあるしねだ からそれを見つけるっていうことが自分の 人生それぞれの人生であると思うからねだ からまあ長い間野球やってきて初めて なんていうのかな自分に合ってるものね適 みたいなのゴルフっていうことでうん他の 人よりも早くになんていうのかな感じ取っ たそれに出会ったっていうことの幸せだっ てのは感じてますねうんあのま21歳の 小崎選手にとっては1大決心だったと思う んですがええその当時の振り返ってれます やっぱりね僕の人生の中にはねやっぱり いけなってのがすごくやっぱり大きな存在 であるんですよああだからやっぱり勝負 する人間にとって1番必要なものは何か つったらやっぱりライバルなんだよねうん うんうんうんだからやっぱりあこの人間に は絶対負けたくないっていうようなねそう いう気持ちを絶対持たなきゃいけないし そのためにははっきはっきりとしたそう いう相手がいるっていうことがね必要なん だよねえうんだから僕の場合はそういった 意味じゃ早くそういう同じ世代のイながと あってええうん自分の立場自分の目指す もの をはっきりと明確にさしてくれたっていう ねことを非常に感じますね実はあの今夜 取材したんですけれどもその池永選手から メッセージが届いているんですご覧 くださいはい本ですか早くねうんえ100 勝というものをねうんま本人がしたら どんな顔するだろうかと思ってね今日 テレビ見てましたんですようんでたら なかなかこうねもう少しってもらいたかっ たんですけどねそうですねもうアメリカで 畳んでいいですよもうねごもなるしもう あんなものはもうねアメリカの誰かが外人 の人がればいいんですよただまあ日本で 気楽にねうんやっぱそう仕上げと言います かね本当のプロゴルフっていうのはもう こういうものだという足音をね皆さんに ゆっっくり聞かしてやってもらいたいです ねはい うんというあの声頂戴したんですがええ いかがでしょううまあね僕は彼の存在彼の すごさってのはよく分かってるしで池永も 僕のその存在僕のすごさってのも分かって くれてるしねお互いにこう理解しあって 非常にずうんと長い間いい友達関係でいる しねまこれは他の人にはなかなか理解して もらえないとこなんだけどでもやっぱり そういううん自分が意識した人間がい るっていうことのねうんえありがたさって のかなそれが自分の今やってること の うすごさすごさって自分で言うのは おかしいんだけどうん言ってくださいうん いやいや言わないんだけどでもやでもあの 池永さんがいたからあのそのゴルフ会に 入ったと言っても過言ではないですねあ もちろんもちろんもちろんもちろんあの やっぱ野球で池永さんっていうのはすごい プレイヤーだったと思うんですよもうね もう信じられなかったねうんそれ僕はだ からうん海南高校卒業して西鉄に入った時 18歳はいで池永も下商業からえ西鉄に 入って同じ年ですよねだから同じ年代で なんでこれだけの差があるのかなっていう もうなんていうのかなジェラシを本当に 感じたねなるほどね期がゴルフにあると いう風に感じたわけですそうそうそうだ 自分自身ではすごいプライドを持ってる わけで自分のこの能力においてねうんでも その野球っていうことに関し てなんていうのかな池なのその存在っての はもう自分にはうわあこいつには絶対野球 で負けるなっていうのねそういうもう思い をもうまざまざ見せけられたからだから やっぱり池永に勝つためには何をすべき かっていうことをねうん明確にやっぱり あの自分で えゴルフっていうものにね向かっていくっ ていうことができたんだよねだから長さん もこれはさっきあのね出ていただいたんだ けど中西さんも僕に一言言ったことある うんはいうん池永をお前のライバーとし なさいほおこれは本当なんですようんうん だから自分の思ってることはやっぱり中 さん分かってくれてたんだねうんまそれが そのその後まプロゴルファとして2年っ てく上でもずっと心にめておかれたこと でしょうかはいもちろんです今でもねそう いう風にあの思ってますからねだから もちろんあの青木選手とかね中島選手とか 日本にはいい選手はいますけど僕の心の中 のライバルってのはいなんいけなかっです そこが原点ですねええなるほどねさあま そうして戦列なデビューを果たした大崎 選手ですがその後の歩みは決して順風な ものではありませんでした 開進撃を続けていた小崎も30代に入って スランプに陥りまし た一生も上げられない年もあり復活をかけ て猛烈集に取り組みまし た小崎が蘇ったのは昭和63年の日本 オープン復活の優勝を果たし [拍手] ます勝負のこの緊張感とねま喜びみたいな ものがね同時にやっぱりもう久しぶりに 味わいました ね以来史上初の3周連続優勝を達成する など日本のゴルフ会の様々な記録を 乗り換えていき ます早くも1億円を突破しましたま実力 通りじゃないです か今シーズンの目標は2億円突破 といや思ってます [拍手] よ優しいわけじゃない僕の腕がすごいん ですでもやっぱりこういう勝ち方は やっぱり1番に合うのは僕です ねよしトイだ [拍手] [音楽] [音楽] あと今年に勝するんでしょねええそういう ね当たり前のこと言っ てドライバーにタを選びましたは飛ばす こと崎は飛ばすことにこだわらなくなっ たら自分が自分でなくなってしまうと言い ますプロデビュー以来27年その崎の歩み は日本ではマイナースポーツだったプロ ゴルフをメジャーな地位に築き上げる歩で もありまし [拍手] た崎手はう勝ったに何を言ってくださる かてのもれ楽み楽しみです今自分で聞いて ていかがでしょうかえ自分のインタビュー 聞いてちょっと言い過ぎですね言い過ぎ ですかでもね僕はジャンボさんが優勝した 後のインタビューはねもう審議対全てがね やっぱマッチングした状態で買ってるなと いう風にいつも思うんですよそうじゃあり ません かそうねま素直に生きて行ってると思っ てるしね自分ではうんまあの49歳プロ 27年目にして今年あのメタルからチタへ 調整なさいましたよねその飛ばすえって ことジャンボさんにともちろんですだから 僕はやっぱり生まれながらにしてホーム ランバッターだと思ってるしだからその ホームランバッターがやっぱり外発 スタンドに届かなくなったらねえあの やっぱり引退しなきゃいけないっていう ことも自分でも分かってるしねだからその ためにゴルの場合はでもほらあの科学って いうものがあるからはいだその科学も全て こう利用しながら自分のえ前あのなんて いうのかなプラスに持っていかなきゃいけ ないと思思うしねだそういった意味じゃ 多少なんてつのかなあの無謀なとこある けどでも新しいものをね自分でトライして より自分にプラスなものをうん自分に こう持っていくってことが1番必要であ るっていうことは自分でよく分かってるね うんとにかく貪欲ですよねいいものはいい ものは何でも掴むというそやっぱジャンボ スタイルですよねそうですねさそしてあの 積み重ねられた100という数字なんです が はいという数をどんなにご自では捉え てらっしゃいますかうーんまそれは実際に 100勝てるっては自分では思わなかった ですねうんでも100っていう数字には こだわってゴルやってきたわけじゃないし だから常にやっぱりいくら都市を取っても 1番新しい勝利が1番あのすごいもんだっ ていうことは自分で分かってるしだから 過去の勝利よりも1番新しい 勝ちってものにこだわってずっと行ってき た来た結果がそうなったんじゃないかな うんましかし今日のインタビューでねはい もうこれからは0からスタートだっていう にジャンボさん言われましたよねえまその 貪欲さがある限りまだまだ続きます ねもちろんねえもう僕はもう一生現役で 行きたいと思うしはいそのためには やっぱりやらなきゃいけないことも たくさんあるしねうんまそれ勝てばこれ だけうんいろんな人にも出国されるんだ けどでもそのためにはいろんなことも他の 人よりもやらなきゃいけない作業が多く なってきてるしねでもその作業の多さ みたいなものがうんあの練習の必要性 みたいなものにもなってくるわけだから うん まあこれも自分に与えられた道かなと思い ますねうんどうぞあのこれからも ウイニングパッドを沈め続けてください スマスの活躍期待していますどうも本当に 今日はありがとうございざいどうも ありがとうございましたえプロ

前人未踏通算100勝を達成したジャンボ尾崎プロ
1971年(昭和46年)プロ初優勝した宮崎県フェニックスカントリークラブで100勝目を達成!
プロ生活27年目、49歳での快挙でした。
MCは元読売巨人軍の原辰徳さん、当時NHKアナウンサーの草野満代さん

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