闇に葬られたジャンボ鶴田のクーデター未遂事件【全日本プロレス】
1983年に新日本プロレスでクーデター未遂事件が起こったことは、ファンの間では有名ですが、もっと前の1977年に、全日本プロレスでもクーデター未遂事件があったことは、あまり知られていません。
70年代当時はまだ、今のようにネットが普及していなかったので、情報を隠しやすい時代だったともいえます。
このクーデター事件には、あのジャンボ鶴田の名前も出てくるので、ジャイアント馬場社長にとっても只事ではなかったのです。
ザ・グレート・カブキをはじめ、レスラーや関係者の証言をもとに、全日本プロレスクーデター未遂事件の真相に迫ります。
#プロレス #プロレスラー #全日本プロレス
軍資金を出す大物=「一日一善!」のおじいさん
馬場さんが役者が一枚上ということですね😊
北沢さんにセメント仕掛けて前歯を叩き折られたクツワダが猪木をセメントで潰すとかwww
色々その人の立場があって食い違うトコは有るんだろうが基本はクツワダが大風呂敷広げて畳めんかっただけの話やと思ってる。
毎回、毎シリーズごとに豪華一流外国人ばかり招聘してたらそらぁ経費がかさむわね。
ひとシリーズにメインとセミのタッグで3人くらいスター級の選手がいれば良かったと思う。それにそんな一流外国人と対抗できる実力がある日本人選手がそんなにいないのに外国人選手を豪華にしても意味がないと思う。
ジャンボ鶴田は、プロレスラー向き、経営者向きではなかった。猪木さんは見抜いていた。おそらくハードなトレーニング、スパーリング、ゴッチイズム受け入れないと。馬場さんは大型好き、又ハードなトレーニング課さない。対外国人レスラー主体、ジャンボは適した逸材だった。天龍さんが挑発して、怒りの部分引き出し、最強、怪物と言われるけど、プロレスを格闘技と見た時、(どの世界でも才能とハードなトレーニングをした人がチャンピオンになっている)馬場の下にいる事が最善の道だったと思う。
クツワダが解雇された時分、当時の月刊二誌のうち『ゴング』はほとんど記事にせず、『プロレス』の方は3~4ページ位かけて退団後のクツワダ本人のインタビューを掲載し、後に四谷だったかに、ちゃんこ店を出した際に写真で紹介するなどしていました。
新間さん、こんなことするから晩年の猪木さんに連絡先デリートされちゃうんです
間近で見てる人たちに不信感持たれないわけないもん
当時の塩の彫像のようなダルいジャンボに魅力なんぞなかった。
馬場さんは、外国人レスラーの招集にお金をかけて、日本人レスラーにはお金をかけれなかったところを見ると、力道山のやっていた経営と、似てるところがあるよ。海外修行で得たお金を、外国人レスラーの招集の為に、力道山から吸い取られたと嘆いたんであれば、本人はやってはいけなかったはず。体張って馬場さんのために頑張っていた日本人レスラーにこそ、自腹切ってでも報酬をあげてやれば、猪木さんみたいに人は集まってきたし、育ってきたんだろね😢
新日とは違うのを見せるとは言っても、人の育て方が偏っていては、SWS騒動で判るように、人は離れて行くよね。そういう意味では鶴田さんは最後まで残ったんだから、偉いですね〰😮
カブキの発言はどうかなって思うけど。