【チャンネルページ】
田中英道の部屋
https://www.youtube.com/channel/UCaErGogNPOXQophwHkmiuMg
【著書】
・ユダヤ人埴輪があった! 日本史を変える30の新発見
www.amazon.co.jp/dp/4594083013
・新 日本古代史
www.amazon.co.jp/dp/4594087914
【田中英道】
日本の美術史家、歴史家。東北大学名誉教授。東京都出身。 フランス・イタリア美術史を研究し多くの業績をあげる一方、日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。 また、日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、日本国史学会(任意団体。学会登録はされていない)の代表を務める。
ウィキペディアより
田中先生にはぜひ徳島県の八倉比売神社に行って欲しい。
中国においても24誌をある種、事実ととらえてはいないのを聖書のように三国志のうちの魏志を追究する愚行を笑ってみることです。
発音では、邪馬台は「ya ma ta-i」になるけど、外国語は「子音+母音+子音」で1音節になるから、「や」は「ya m」、「ま」は「ma t」となるが、「ta-i」は最期の子音が省略されているので「a」と「i」の間の音となり、「to」や「tu」のように発音されるとすると、「ya ma to」「ya ma tu」となり、日本語では「やまと」「やまつ」となるのでしょう。
つまり中国語で邪馬台を「やまたい」と四文字で発音するには、漢字も「邪馬台○」のように四文字必要になると思います。
『新唐書 日本伝』(1060年)では「日本、古倭奴也」(「日本は、かつては倭の者どもだった」)とあります。阿蘇山の噴火のことなどの表記でも類推できるように、「倭(国)」は九州にありました。つまり邪馬台国の元は九州で起こりました。その倭が東方に移動して、畿内に住居を構え、のちに日本に改名したと思います。
倭国の人は入墨をしていたので、漁業関係者です。すると倭国の巫女 卑弥呼は漁業関係者のために、朝、日が昇る時に神の声を聞き人々に伝えた。朝の太陽の光でライトアップされた彼女は神々しく輝いて見えたでしょう。特に漁業では朝の天候で漁の出来不出来が決まり、波の状態が死に直結するので、これが重要な毎日の儀式だったと考えられます。
日が昇る時の太陽は、周りが赤くなり、太陽は金色に光っている。これが平家の日の丸に採用されたと思われる。この太陽を崇拝する風習は、簡略化されていまでも、初日の出、御来光として残っている。
邪馬台国の「邪馬」は「山」の意なので、奈良盆地は条件に合っている。
邪馬台国の「臺=台」は魏では中央官庁の意なので、「邪馬=山」の国の中央官庁の置かれた場所であろう。つまり奈良に邪馬の国の中央政府が置かれたと解釈できる。
邪馬台国は「邪馬(山)の国の中央政府」の意で=山台=山都(やまと)ではないか。