【杉浦正則 日本生命】当時五輪はアマだけで二者択一の中でオリンピック金メダル獲得のためプロ入りせずアマで活躍。五輪前のプロとの試合での古田選手や当時の主力級との対戦は見もの。最近は高校野球の解説も

【杉浦正則 日本生命】当時五輪はアマだけで二者択一の中でオリンピック金メダル獲得のためプロ入りせずアマで活躍。五輪前のプロとの試合での古田選手や当時の主力級との対戦は見もの。最近は高校野球の解説も



杉浦正則投手は、同志社大で通算23勝。2年後のバルセロナオリンピックめざし日本生命に入社。バルセロナでは9試合中5試合登板。準決勝台湾戦に続き3位決定戦のアメリカ戦と連投の活躍で銅メダル獲得に貢献!

そこでプロ入りかと思われたがオリンピックでの金メダル獲得を目指し4年後のアトランタを目指すことで、その時は28歳と言うこともあり事実上プロ入りをしないことを決断。

アトランタでは銀メダル獲得に貢献。シドニーではプロも参加し合同チームの主将を任されるもメダルは逃す。32歳で4年後は36歳と言うことでっ子の年で引退。オリンピック通算5勝はオリンピック記録だ。

日本生命では入社から10年連続都市対抗出場とエースの働きをし2回優勝し橋戸賞も2回受賞。引退後は日本生命コーチや監督を務め2010年からは高校野球の甲子園での解説もされている。

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27 comments
  1. 杉浦正則 投手は個人的にはプロでも見てみたかった。 オリンピック には当時はアマのものでプロ入りかオリンピックか二者択一の中でオリンピックでの金メダル獲得を目指した決断はまさに後にミスターアマ野球と言われるのもうなずける。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。

  2. 高校時代は無名
    同志社大学時代は明治神宮大会優勝投手
    日本生命では都市対抗野球大会優勝で橋戸賞
    バルセロナ、アトランタ、シドニーと3大会連続五輪出場
    (バルセロナ🥉アトランタ🥈シドニー4位)
    選手引退後は日本生命の監督とNHKの高校野球の解説を歴任
    アマチュア野球の栄光に包まれた野球人生だった

  3. プロの長丁場のリーグ戦よりアマチュアのトーナメントの方が向いていたと思う
    いつかは侍JAPANの監督をして指揮して欲しいと思う

  4. オリンピックというか、キューバを倒すために、アマチュアにこだわり続けたのですよね。

    1996年のアトランタオリンピックは谷、松中、井口、今岡、福留などそうそうたるメンバーでしたが、惜しくも、キューバを倒すことはできず、銀メダルに終わりましたね。(キャッチャーが現ENEOS監督の大久保氏。)

    いつか忘れましたが、杉浦投手のボールを見た古田敦也氏が「プロ以上だよ。」と言っていたように記憶しています。

  5. アマチュアだけの
    オリンピック
    エースだったよねー
    頑なにアマチュアにこだわってたよね
    正直、プロで観たかったな〜
    大好きな選手
    選択が野球好きな方と
    よく解る
    素晴らしいです!👍

  6. 杉浦投手と同学年ですが、印象的な投手が多い年代だと思います。
    野茂、長谷川滋利、木田優夫、近藤真市、嶋尾康史、潮崎、杉山賢人、小池秀郎、佐野重樹、高木晃次、高津臣吾、川尻、川邉忠義、小島圭市、望月一、内藤尚行、白井康勝、大美健二、成本年秀、小坂勝仁、真鍋勝己、森広ニ、西村龍次、岡林洋一、水尾嘉孝、樽見金典、西村英嗣、岩崎久則、永野吉成、野村貴仁など

    藪恵壹も。

    お騒がせな選手、俳優になった選手、亡くなった選手、審判になった選手、引退後は様々です。

  7. この世代、中学軟式で日本一が長谷川、夏の選手権の優勝投手が本橋、大学を代表する投手が杉浦、社会人が野茂と、関西に好投手が集まった感がありますね。

  8. 杉浦さんの甲子園の解説は好きです。もっと担当試合増やして欲しいなと思う。因みに同世代です。

  9. しかし、もしも杉浦投手が五輪で金メダル取ったとして、プロ入りしたとしても、大成したでしょうか?
    おそらく、金メダル取ったことで、満足してしまったんではないでしょうか??
    なんでこう言うかというと、高校野球で優勝したピッチャーで200勝以上した人って、今のところ大洋の平松さんくらいですよね(楽天の田中投手ができそうですが)。
    アマチュアで功績残すと大概の選手は、燃え尽きるのでは??
    そう考えると平松さんってすっげーなー。社会人でも優勝してるしなー。大洋では優勝できなかったけど、200勝してるもんなぁ。

  10. ミスターアマ野球。
    オリンピックの金メダルを目指してプロを蹴るって、凄いカッコ良かったです。実力は勿論、ある意味プロ野球選手より有名な選手だった。
    でも、やっぱりプロで見て見たかった選手ですね~。
    今じゃ考えられないが、プロとアマにめちゃくちゃ壁があった時代。記憶に残ってます。甲子園の解説やった時は嬉しかったなあ。

  11. かすかな記憶ですが、インタビューを覚えてます。なんでプロに行かないか?と聞かれて「だってキューバと日の丸つけて戦えなくなっちゃうじゃないですか」的なことを言っていたような…。WBCがもっと早く開催されていたら、なんて思ってしまいます。

  12. 140キロのファストボールと128キロのスライダーが武器のようだ。
    同世代の伊藤智と比較すると打者を威圧するものが無いように感じた。
    明晰な頭脳でプロでは通じないと知ったのだろう。

  13. 杉浦投手は、バルセロナ五輪せめてアトランタ五輪の時にプロの参加が解禁になっていれば
    プロでの活躍が見れたかも知れませんね。

  14. 杉浦投手が今の様にプロもオリンピックに出場出来る時ならプロに進んでたんだろうなって思ってしまうのです。
    生まれる時代が早かったって事ですよね

  15. ニッセイのおばちゃんに、「なんか杉浦グッズないの?」と聞くと、都市対抗のテレホンカードをくれたことがある。

  16. 96年当時、福岡ダイエーにぜひ入ってほしい願望を持っておりました。王監督がかなり熱心だった記憶があります。バッテリー組んでいた大久保秀昭捕手もぜひ!

  17. プロ行かなくて良かったと思います。アマでも実力は充分に認められていたわけですからね。プロ球団より大企業に入っていた方が将来的に安泰です。

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