日本から見たサピエンス全史#5◉田中英道◉縄文時代の日本は世界最初の文明国家だった!

日本から見たサピエンス全史#5◉田中英道◉縄文時代の日本は世界最初の文明国家だった!



日本の縄文時代こそが、世界に先駆けた文明開化の場所だった!16500年前の日本で、日高見国という国がつくられていた!太陽が最も近い、文明最先端の地へ、世界中から人がやってきていたことは想像に難く無い。
一神教の西欧人は言葉を重んじますが、縄文土器の「形」から歴史を読み解く田中史観、ここにあり。

★「日本から見たサピエンス全史」再生リスト:http://bit.ly/2RondKP
★ 田中先生へのご質問・ご感想 info@hayashibara-ch.jp
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<目次的な!>
・現在と過ぎし時を往還する豊かな歴史
・クロノジカル(年代順に並べる)ことが歴史ではない
・歴史家が語るということは、その時代のその人が語る”見方”
・歴史とは発見の旅、形と言葉の認識
・歴史家が構成し直すことで歴史が見えてくる
・「サピエンス全史」は言葉に焦点を当てていることが間違い、形で認識することが大事
・神が太陽を作った、自然を作った、と考えるユダヤ人(一神教)
・“太陽”という言葉の前に太陽がある
・『芸術国家 日本のかがやき 1 縄文時代から飛鳥時代』
  田中英道(2017年 勉誠出版)
・日本は最初から芸術国家だった
・世界には縄文時代という区分はなく、石器時代としている
・土器に装飾をした日本民族(西欧の土器は物を入れるだけの器)
・縄文時代とは何か?土器からの考察
・<縄文時代は16500年前から>
 青森県の大平山元遺跡の縄文土器は世界最古のものとされている(1998年発掘)
・縄文時代・・・草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に分けられる(約16500年前〜2300年前の間)
または、紀元前約14500年〜300年の間 ※三内丸山遺跡は中期
・土器で煮炊きをしていたということは、定住して生活するということ
・いち早く自然と共生していた日本民族
・縄文時代は文字記録がないため、歴史家はあまり雄弁に語ろうとしないが、土器の造形から読み解ける歴史があるはず
・世界四大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・黄河)
 紀元前3000年前後に始まったとされる
・縄文時代の土器と土偶(草創期)
・縄文土器の類は東日本に多い(関東、東北・北海道に多い)
・土器に装飾するということはどういうことか?
・観念を持っている、精神生活を送っていた
・『土器と造形 ー縄文の動、弥生の静ー』東京国立博物館(平成13年)より
・「縄文」に込められた日本民族の心
・縄には(神社の注連縄含め)精神が宿る(心を込める、包むという気持ち、畏敬の念、など)
・火焔土器と言われるが、火ではなく「水」の信仰ではないだろうか
・縄文土器に見る美しさと精神性
・日常的に使うものに美を見出すことは非常に日本人的といえる
・左右対称に幾何学的に作らないのも日本的な美
・日本民族の統一された精神性とは?
・唯物論(マルクス主義的な)では人間の歴史は(経済も)正しく語れない
・家族が元となり、村という共同体や信仰(自然信仰)をつくっていく
・世界最初の「国」は日本である
・国家 = 国という家(StateやNationに家という概念は無い)
・『日本の起源は日高見国にあった』田中英道(2018年 勉誠出版)
・日本の起源は日高見国
・「大倭日高見国」(おおやまと ひだかみこく)
 古代から伝わる祝詞『大祓詞』に記載あり
・太陽(お日様)を見る国(特に関東、東北、北海道)だから日高見国
・地名の日高、北上川(日高見川)、飛騨、などは日高見国の名残ではないか
・※ユダヤ人の埴輪に関しては前回(第4回)でお届けしました
・日本列島・西と東の文化の違い
・関東に圧倒的に人物埴輪が出土している
・太陽は人間の思考の基本(江戸時代までは)
・自然と土器と精神性
・単に実用性だけでなく精神性を帯びてくる(霊的なものが表現される)
・幾何学的なもの、エレガンスなもの、高貴なもの・・・
・抽象的なものを美とする=日本的感覚。ある種のファンタジー。
・中国も西欧もリアリズム
・考古学者は土器を技術的な観点で見るが、私は芸術品として見る
・縄文土器は完全な芸術品
・土偶の謎解き
・家庭、子孫、病気が何から始まっているか? (つづく)

※参考資料:『土器と造形 ー縄文の動、弥生の静ー』東京国立博物館(平成13年)

#縄文時代 #縄文土器 #芸術国家日本
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田中英道「日本から見たサピエンス全史」#5
収録日:2018年2月6日
43分

製作・著作:林原チャンネル

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  1. 幼少期からの思いですが、作り出す物の全てに柄を付けて、表面の肌合いを大切にし、何かに見立てたりする心を共通に持ち合わせていることは日本の特徴でしょう。磨き上げて光る表面に特殊で尊い美を感じることも、「地(じ)」を創ることに専心することにも、本能に近いものがあるような気がします。
     古代の人々の美意識が実用性のみでなく、抽象的な形にも発揮されることが当然だったと共感できて嬉しくなりました。
     教えられてきた古代日本人像に違和感をずっと持っていましたので、今回お話頂いたことで本当に腑に落ちました。

  2. 日本人やその歴史、美術を愛しておられるのは敬服致しますが、ユダヤ教などに対する不注意の聞こえる言葉が気になります。縄文遺跡が東日本に多いというのも、遺跡が発掘される様な状態で残っているかどうかという事がまず問題になると思いますが。 いずれにせよ、退官されて、或いはネット上だからか、緊張感なく発言されている様に見えるのが残念です。

  3. 土偶については似たものが海外にもあったり、宇宙人説があったりと、とても謎が多くて面白いですね。

  4. 日本人は決して日本国憲法によって平和になったのではなく、そもそも縄文の頃から、
    家族単位を中心として生活できるほどに平和な民族として生きてきた、という事なのでしょうね。
    生活にゆとりがあり、かつ平和であるところに、初めて人間らしい美意識を持った文化が生まれた。
    世界の希望になれるものがそこにはあるのだと思います。

  5. 考古学的には3万年前の磨製石器時代から縄文時代に続き、9千年前九州南沖の海底火山の噴火で縄文人の90%が死滅し、生き残った北海道の縄文人が南下したあとに樺太と千島の2種族のアイヌが北海道に入ってきたという説が有力だと思う。歴史は子供に神話を教える意味もあるため、古事記から教えるのが良いと思う。

  6. 先生 質問だよ。 ユダヤの伝統と日本の伝統が似てるとか ネットでよく見るんやけど・・ ユダヤが神道に同化したんじゃなくて ユダヤが神道を作ったということではないんか? 実はシュメール文化ぐらいの大昔からたくさんの人が来ていたということはないんか? サダムフセインさんのブレスレットに菊のご紋とか、シュメールの建造物に菊のご紋とかあったりするんやろ?

  7. 写真集に掲載された土器たちは自分が知っている縄文土器の概念を遥かに超えています。精緻な細工によって醸し出された成熟した造詣はある高みに達し、豊穣な精神性が直感されました。

  8. 16500年前から、日本人は定住して、精神生活していた。
    縄文期に日本の建国がなされていた!
    縄文時代の日本は、世界最初の先進文化文明国だった!
    「造形が精神性を表現している」というのは素晴らしい慧眼だと思いました。

  9. 若い頃、電話番号を沢山覚えていました。先生の言うと通り文字の無い時代の方が頭が良いと思います、文字は噓の始まり。縄文土器のような現物は嘘をつきませんし噓は文化を育てない。埴輪にしてもダビンチやミケランジェロの造形が全てですね。

  10. 7万年前から東へ、太陽の昇る向かって歩き、日本で世界最古の平和な国を築いていたことを古墳とともに示すとともに、世界平和には日本の太陽神のような自然信仰が必要なことを示しています。日本全土が神社と考えることで反日分子を戒めることができることも示しています。ぜひ一読ください
    キーワード:人類の脳から湧き出す無限の欲
    アドレス:https://www.youtube.com/watch?v=_7hVPkJjRG8&t=24s

  11. 未だに殺し合いが続く世界で穏やかに、心豊かに暮らすとはどういう事かの実例ががここにあったのですね。恐らく我々の周囲にも受け継がれて来ている何某かが溢れているのでしょうが、日本人の自慢話で完結させるべき話では無いでしょうね。

  12. 私は「ユダヤの埴輪」の話が田中先生から語られるまでは信頼していました。今はいろいろ非常に懐疑的に見ています。特に「記紀以前に文字は無かった」と断言していて数ある日本の古代文字には全く興味を示さない事には閉口しています。お説によれば「日本人に言葉は不用だった」という事ですが、紀元前3500年頃の青森三内丸山遺跡の威容をみて、建造中に文字が無いとすれば、建築が不可能じゃないかと思うのです。むしろ逆に「文字が無い」事の不自然さを想うべきなんじゃないでしょうか。

  13. 日本の貴重な歴史は 考古学界になんか 任せたら また 捏造するからね!日本の考古学会なんか 自分の出世も考えながら
    行動するし GHQと繋がってるから みんな 無かった事にされちゃう 学会が見つけたモノ以外は世の中に出さなかったり
    考古学として 平気で 有るまじき行為をどこでも やってんだよ!自分がそうと思ったら正しいモノがあっても 意地で
    それを通そうとするしね!居なくて いーよ 本当の日本の考古学には 必要無いよ!
    世界最古の磨製石器が見つかっても 何処かの国に気を使って 打製石器だ!って言ってるし
    菜畑遺跡で6000年前の稲作跡が見つかっても 世の中に 出さないしね!数えたらキリがない!

  14. 一般に鉄器を使用した耕作から食料余剰が出て、一日中食糧確保に追われなくなる人が出て文明が花咲くけど、日本列島は自然の恵みのおかげで食料確保に明け暮れない人が出てきて文明が花咲いたんだろな。あと、無駄に争いがなくて社会資本の蓄積ができた。

  15. 確かに、聖徳太子が、当時中国「隋」の「日出国の~~云々」と書いたというが、大阪や奈良にだけに住んでいたら、日出感覚は、出なかったんじゃないかな~~と、関東、常陸(日立)辺りを同一国家でなかれば、無い発想であろうな~~?

  16. 最後の 土偶ですが 宇宙人みたいです。 よそから やってきたのでは? 素晴らしい 土器の デザイン に 感激です。 ピカソが 知ったら
    嫉妬するでしょうね。 たくさんの 写真を 有難うございました。
    パリの なでしこ

  17. あの土器作品の豊かさの数々、、、絶対美術大会とかやってましたね
    展示会とかあれば、ぜひ行きたい!!

    そして壁画の風景が、ようやく理解できたような。
    氷河期からヒトは活動してたとか…超ワクワクする…!

  18. ヨーロッパでも中国でも文明が起こる都市国家は必ず大城壁がある。
    日本は城壁が必要なかった。それを大陸コンプレクスの学者どもが
    文明がなかったと言い張ってきた。もう騙されるのはやめます。

  19. ホモサピエンスから38000年前に磨製石器を作った日本人が人として生まれた。
    外国人は人ではありません。

  20. 土器に色は付いていた?漆は見つかっているので、可能性はありますよね。
    あの形に色が付いていたら、すごいね!

  21. 全編視聴し、また初めから順番に視聴させて頂いておりますが、田中先生のお話は何度拝聴しても飽きることがありません。
    じつは美術に全く関心が無かった人間ですが、先生に感化されて、先ず手初めに先生ご監訳の「土星とメランコリー」を中古で入手しました。先生の他のご著書も、これから順番に拝読させて頂きます。この番組が末永く続きますよう期待しております。

  22. 日本は世界文明の発祥地です。それが分からないと、何を述べても駄目。神が作ったのではなく、日本人が作ったのです。
    このような神や肉体と言うわけの分からない陰謀論は、「宇宙人の仕業」と同じで、実際には存在しない敵と戦っているため、その敵から反論が出ようはずもなく、国史学会は、ご本人が「誤りだった」と気が付くまで生き残り続けます。南米のペルーやメキシコは、日本人が作った国です。現地へ行けば判明します。机上の空論ではだめでしょう。
     しかし、こんな日本国史学会の人達が歴史教科書をつくっていたとは…。
    メディアが左翼の理由。日本のメディアを支配する“隠れマルクス主義(隠れ共産主義、隠れ共産党)”フランクフルト学派。9条守れ、改憲反対といい、それに抗うような政権は印象操作、報道しない自由、偏向、捏造、レッテル貼り、何でもありで潰していく。

  23. 縄文時代、日本人は何を煮炊きしたんだろうかと気になります。。

  24. 縄文土器や土偶がこんなに様々な表情でたくさんあったとは、全然歴史で教わらなかったです。最近日本の歴史を知るたびになんともったいないことか、と思います。歴史の授業は本来面白くでワクワクできたはずなのに、苦痛でしかなかったとは、それこそ教育の間違いでしょうね。
    まぁ今ワクワクできて楽しいですが(笑)。

  25. 約4万年前の始まりから。①日本にやって来たのは動物を追ってではなく、約4万年前にフネで北部九州に渡海、②北海道には3.5~3万年前に青森から海峡を越えて入って居る、③従って始まりルートは、北海道へ北上と沖縄への南下。世界先史考古学で金メダルの伊豆の海の行き来、磨製石器、陥し穴猟、環状キャンプ、釣り針など、初代の祖人Proto-Japaneseは、原始人ではない。sunda-win@t

  26. 三内丸山の時代は、青森の周辺は今より暖かかった?でもどうして北方系の人なんだろう。満州の所で、朝鮮半島という廊下の方に行かなくて、沿海州から樺太に渡り、そこから北海道へ来たのだろうか。樺太には縄文の遺跡はあるのだろうか。 僕は青森と函館周辺の人びとは、日本海側を船で北上して来たと思ってました。

  27. 日本原国大倭日高見国日之本公式政府徳川江戸幕府復元

    さて皆さんは、日本と言ったり大和というこの島国の本性をご存知ですか。

    我らの国は大倭日高見国(おおやまとひだかみのくに)と申す。我が国では国民が等しく財を与えられる事が原則である。また、中央王高倉を中心に五王の制度を敷き、失政あれば王といえども即退位させられる。ここが、支配と差別と搾取が基本の大和朝廷明治政府現日本国政府と全く考えの異なるところです。現在の政が、余りにも酷い出鱈目な事を憂い、私は千田を代してこの国の本性、本来持っている願い、祈り、歴史についてお話致します。全ては我ら日本の生命の為に。

    はじめに答えを早々と言います。殖えて我侭だから処分するのではなく、増やして親子親戚社会和して強靭な国家とする事が第一であり基本は軍備以上に「農業」なんだという事です。

    我らの総本山は早池峰山(はやちねさん)と申す。瀬織津姫(せおりつひめ)という先祖が、我らの中心の神で、その神の起源は13000年前に遡ります。読んで字の如く、瀬織津姫は、日本列島の瀬即ち太平洋側に降り集いし人々の集団の長をあらわします。我が大倭日高見国の神社の祝詞には、祓戸四神の筆頭として登場します。早池峰の池峰とはおっぱいの事であり、早とは速とも書きます。覇という意味で、代表者をあらわす古代の言語です。古代は太陽を「チダ」東の「アガ」東の主「アベ」海を「ワタ」わたし「ワ」陸地所領を「シマ」神を「イヌ」「イム」養子入りを「イリ」王を「ラ」「ハヤ」「ネコ」「ヒコ」女王を「サラ」皇子を「ミミ」「オビト」先頭・先駆者を「シリ」男性の大切なあれを「フグリ」そのものを「ホ」女性のを「ホト」最愛の人を「カエラ」など。面白い事に気がつきます。

    我が大倭日高見国は、太古より女系国家で祭祀を女性が司り、政治を男性が司るのが習わしです。

    瀬織津姫は戦前までは天照大神の本称とされ、大祓詞を読んで解るとおり、瀬織津姫は高天原(たかまのはら)の主宰者です。高天原というのは古代の国会と言う意味です。高天原は、早池峰山から紫波と更木に別れ、商業都として紫波、首都として更木が国家を運営してきました。千田家すなわち皇命は早池峰の麓北上山地の高峰水乞山に上がり農業を監督、大倭日高見国は豊かでありました。

    我らは、産土(ウブス,エビス,恵比寿,えびす,夷,戎,恵比須,蛭子,胡)と呼ばれ、勇者、覇者という意味です。岩手より世界の方々を治めに行きました。これは、技術を教えに行ったという事です。京都平安京すなわち賀茂の母体のひとつ、島根県出雲国に文明を授けた少彦名という神は我ら産土、岩手の人の事です。出雲の賀茂が葛城山へ来て京都を開いたのです。ゆえに平安京で最も古い神社を下賀茂神社といいます。

    約3000年前には、現在の岐阜県飛騨高山に行った人々は、石川県をはじめとする邪馬台勢力と合体します。飛騨の位山一位の木で作った笏(しゃく)を飛騨の本家山本から賜って政治するは我が国の習わしです。天照大神の呼称は飛騨山本家のはじめた事です。また、徳島の本家阿波忌部三木家は天幕を張る機を織ります。徳島剣山麓の地域は我が国におけるカドの本拠地です。岩手皇命千田家を総本家はじめとして、奈良和邇丸子家・三島家・葛城家、山形丸子矢口家、石川蘇我(菅)家、岐阜飛騨山本家、出雲沖津家、徳島三木家、大分宇佐宗像家、熊本大伴大王家、茨城鹿島家、千葉香取家、に各々本家があります。鹿児島薩摩阿多島津家、愛知熱田大宮司広瀬家は比較的新しい家ですが我が国においては古い部類に入ります。琉球王家尚は千田家の分家でありその名の通り太平洋の杜で祭祀を行っています。杜,森,守,盛,「もり」と名のつく所は怏々、太平洋の祭祀を行う杜です。我が国は明治維新より、存在意義を失いましたが、元を辿って本家分家血縁者を繋いでゆけば、日本の故地が何処で、成り立ちはどうで、という事が手に取るように解りはじめるのです。

    云えば大倭綜王、皇命として太陽神千田がおり、千田の男神が多賀よりイザナギ天下り、石川邪馬台国と岐阜飛騨高山の連合国家のイザナミと結婚して奈良へ進展、天照大神その最後としての布留ニギハヤヒが登美国を継承。妻の父綿津見(別称大山祇)瀬戸内海三島へ。神話の流れからすると九州をも所領した模様。その阿多の娘を嫁にもらい婿に行ったニギハヤヒの弟布斗ニニギの孫佐怒彦が井光いわゆる吉野首長尾家の後援をいただいて、無事に大和入り。隼人阿多島津の本姓が秦である事で綿津見が秦である事が解り、綿津見の本社が筑前である事から九州が隼人や阿曇(あづみ)の王国であった事がわかる。また綿津見の別名が豊玉彦の為、明らかに九州の北部筑前福岡の王である事が伺える。更に、娘の名が豊玉姫、妹の名を玉依姫との事から、ニニギが姉をもらい、ニギハヤヒが妹を貰った経緯が伺える。いかに綿津見という王の権威が大きかったかという事や、その息子が三輪の登美明国といって幕末までの歴代天皇に崇拝されてきた事を。三輪の地が、東日本と西日本の中心拠点である理由、古代より日本中はもとより世界が繋がっているという当たり前の眼目が開かれる。

    したがって、『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)』『コノハナサクヤ姫というのがいてオオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)の娘で、姉にイワナガヒメ(石長比売、磐長姫)がいて。ニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻として、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。』などというのが、まったくの創作である事が判明している。

    ニニギの妻豊玉姫の妹が、ニギハヤヒの妻である。コノハナサクヤ姫という空想創作は、日高見国を無き者にせんとする大和朝廷の悪足掻きに過ぎない。この1363年間に及ぶ大和朝廷日本の嘘を、私が暴いたのは当然といえば当然の事。私は嘘が嫌いです。

    そして、教えよう。なぜ富士山か。それは、九州から来た百済の一行が、日本での支配権を得る為。早池峰山では日高見国の威厳を讃える事になり、新興国を京都に設立するには気まずいから、当時ど田舎の関東の山を、日本の神山として置き換えて歴史をはぐらかせた。富士山の存在は景行の御代にもヤマトタケルによって確認されている。

    ようするに富士山とは『藤山』なのであり、本家日高見国から干渉を受けたくない新参者の百済藤原が、『古事記』『日本書紀』創作時に捏造したものである。

    筑前福岡の志賀島(しかのしま)が滋賀の語源であり、天智は滋賀の大津から筑紫に一時遷都して、白村江戦に赴いた。

    滋賀の日吉(日枝というは勧請して後の社)の大山咋神(おおやまくい)の神が江戸城の鎮守である事は有名です。大山咋はスサノオの子である大年の子であり、山の所有者という意味です。秦家によって守られ、氏族の祖大酒王をあわせて祭っています。

    比叡山御開山伝教大師最澄は、大比叡にニギハヤヒ大物主を三輪山から勧請し、もとの大山咋を小比叡に移しました。この事からしても、いにしえびとが誰を我が国の王であると考えているかが明確です。

    江戸時代まで農家においては大国主、事代主、大年の神、いわゆる出雲神が信仰されてきました。これも垂仁時代の出雲の国取りの後遺症です。

    秦にゆかりのある歴代の秦氏、そして太田道灌や松平徳川家は、出雲の神日吉大山咋神を祭り、仏教宗教者はことごとくニギハヤヒを祭っている。これは、日本の皇祖が、ニギハヤヒ大王である事を意味し、いにしえびとは私と同様に、その意味が解っていたのです。

    出雲というのが、天照の太陽の教えとは真逆の呪術であるところを、仏教者は危険に思い、密教という形で神道を秘めたのです。したがって現在の神社神道家は当然神ごとを知らない訳です。私のように『日本仏教』の極意を究めるという事は、神ごと即ち歴史のマスターになるという事です。

  28. 太陽は非常に合理的(影響の合理性から考察して)に置かれている事から創造の知恵があったと考えられませんでしょうか。

  29. しめ縄はモーセがシナイ山に昇り神を礼拝している時山を覆った雲を表し簾は稲光を表しているという方もありますが聖なる場所を表すことに通じませんか。

  30. 聖書にはイスラエルの民が東の果てに行くと書かれているようですが成就してるしるしになりませんか。完全な雌・雄がなければ子孫がないわけで当時の赤ちゃんと現在の造物者のセッ傷にに能力の差は無いと思いますし言葉の共有も付与された者だと感じますけど如何でしょう。

  31. 縄目模様は摩擦があって持った時に滑りにくい、という実用性もあると思います。

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