西部氏の塾にも通った者で、拓大の日文研にも書いていた者ですが、感想を述べさせていただきます。 田中氏の仰ることは分からなくはありません。西部氏は確かに盛んに「伝統」だとか「慣習」だとか言いながら、それについての深い学術的突込みはされませんでした。逆に言えば近代主義を批判しながら、近代しか見ていなかったのは西部氏も同様だったように思われます。古代以来の日本史を俯瞰して位置づける視座が欠落しているからです。それは田中氏の指摘の通りでしょう。 しかし、田中氏はキリスト教は全く根付かなかった、日本は明治維新以後も日本のままだという言い方をおっしゃる。そして、日本は敗戦もしていない。なぜなら天皇陛下はそのままだったじゃないかと。これは全く同意できないです。こういう言い方をしてしまえば、何に対しても発奮する必要もない、なぜならば全部大丈夫だからです。日本という国には何の思想的課題もない。修理するところがないんですからね。 「サヨク」という死に体の偶像を叩いて、自己の存在意義を見出すだけ。もう見飽きた光景だけがそこに横たわっている。あとは誰かがやっているように奇妙奇天烈な陰謀論を持ち出して日本はこうだったとやるか。いったい田中氏は何のためにこの動画活動をされているのか。日ユ同祖論やコミンテルン陰謀論だとかカビの生えたどこかで聞いた議論の蒸し返しでしょうか。そこまで日本人は馬鹿じゃないですよ。 西部氏は違っていました。大衆批判を繰り返すことへの氏なりの責任も感じていたのでしょう、実際にどういう人間が現代日本人なのかということで、スマホ人間その他についての批評もされていた。これがどういう恐ろしい結末になるのか。私はまだ30後半ですが、氏の危機感は分かります。申し訳ないですが、田中氏のこの動画は誰に対して訴えておられるのでしょうか?さっぱりわかりませんね。
この爺さんは慎みがないな一人の保守の論客が自死されたな、何をおいても哀悼の意を表するのが全うな日本人やこの爺さんは、てめえの駄法螺吹かしたくて、亡くなった方をあれけれ品評しくさる!この爺さんが分際も弁えず貶めた保田與重郎先生は、三島由紀夫が自死された夜夜半過ぎて、雨は氷雨に降りしきり、御祖「みおや」の神の荒び泣くがにと詠まれて、狂おしいばかりの哀悼の意を表されたんだなニセ者め恥ずかしくないか!!
ブントがおかしいと思ったら 止めれはいいではないか 役員になるのが嫌なら 止めればいいではないか 自分の意志で行動して 人にその責任を押し付けるのか? ブントに関し西部先生は最後まで苦しんでおられた 三島についても異論がある 死者に鞭打つような見苦しい事を 仮にも文化人と言われる人がすることでは ないと思う、
この人はキリスト教に異常に対抗心を燃やしているね。これは明治新政府が対西洋の宗教として始めた近代神道に頼ろうとする余りキリスト教を自分を映す負の鏡としているからではないかな。キリスト教信徒としての登録数は全人口の1%だろうが、クリスマスといいバレンタインデーといい、キリスト教式結婚式(神社の結婚式はキリスト教の結婚式を真似たものだよ)といい、年始の神社参拝程度にはキリスト教は日本人に親しまれているのではないか?
たかだか文学者、国文学者風情の連中の思考のレベルがいかに低いかということがよく表れている動画だなぁ・・・。加えて、他者の死というものを自分の都合のいいように解釈し(それをこの人物は正しいと思っているのであろうが、はっきり言って勘違い)、それをほとんどこじつけた形で「日本は敗戦したわけではないんですね!」みたいなことをのたまう・・・。もし西部邁がこれを見たらどう思うか・・・。まぁ取り合わないとは思うが・・・。結局、こういうのが、戦後の「自称保守」の典型的な姿であろう。
「近代ばかりやってる(学究してる)保守は危ない。」まったく慧眼(けいがん)です。西部批判であり、明治以降のインテリ左翼批判でも有ります。漱石は「吾輩は猫である」で、欧米かぶれを徹底的に笑い、からかいましたが、ユーモア小説で片付けられてしまいました。そして中期以降、伝統から切り離された文化人の深刻な心の孤独を描いてゆきました。今でもその問題は解決のついていない現代日本人の課題として存在しています。
田中英道先生は、都立の名門「日比谷」から東大へ。その年が昭和35年、60年安保。今は亡き西部先生らと、国会に突入。この時、米国の傀儡政権である岸信介の首を取っていれば。また昭和43年、東大に全共闘が現れて時には、何とパリにいて、68年の5月革命をまのあたりにしていたんですね。左巻きの大学教授とはひと味もふた味もちがうわけだ。
田中先生の西部論は全く的を得ている。
西部氏の塾にも通った者で、拓大の日文研にも書いていた者ですが、感想を述べさせていただきます。
田中氏の仰ることは分からなくはありません。西部氏は確かに盛んに「伝統」だとか「慣習」だとか言いながら、それについての深い学術的突込みはされませんでした。逆に言えば近代主義を批判しながら、近代しか見ていなかったのは西部氏も同様だったように思われます。古代以来の日本史を俯瞰して位置づける視座が欠落しているからです。それは田中氏の指摘の通りでしょう。
しかし、田中氏はキリスト教は全く根付かなかった、日本は明治維新以後も日本のままだという言い方をおっしゃる。そして、日本は敗戦もしていない。なぜなら天皇陛下はそのままだったじゃないかと。これは全く同意できないです。こういう言い方をしてしまえば、何に対しても発奮する必要もない、なぜならば全部大丈夫だからです。日本という国には何の思想的課題もない。修理するところがないんですからね。
「サヨク」という死に体の偶像を叩いて、自己の存在意義を見出すだけ。もう見飽きた光景だけがそこに横たわっている。あとは誰かがやっているように奇妙奇天烈な陰謀論を持ち出して日本はこうだったとやるか。いったい田中氏は何のためにこの動画活動をされているのか。日ユ同祖論やコミンテルン陰謀論だとかカビの生えたどこかで聞いた議論の蒸し返しでしょうか。そこまで日本人は馬鹿じゃないですよ。
西部氏は違っていました。大衆批判を繰り返すことへの氏なりの責任も感じていたのでしょう、実際にどういう人間が現代日本人なのかということで、スマホ人間その他についての批評もされていた。これがどういう恐ろしい結末になるのか。私はまだ30後半ですが、氏の危機感は分かります。申し訳ないですが、田中氏のこの動画は誰に対して訴えておられるのでしょうか?さっぱりわかりませんね。
この爺さんは慎みがないな
一人の保守の論客が自死されたな、何をおいても哀悼の意を表するのが全うな日本人や
この爺さんは、てめえの駄法螺吹かしたくて、亡くなった方をあれけれ品評しくさる!
この爺さんが分際も弁えず貶めた保田與重郎先生は、三島由紀夫が自死された夜
夜半過ぎて、雨は氷雨に降りしきり、御祖「みおや」の神の荒び泣くがに
と詠まれて、狂おしいばかりの哀悼の意を表されたんだな
ニセ者め恥ずかしくないか!!
お話を聞いていて『天皇は日本の親で国民は皆家族』を大切に考える私としては何で革命する必要があるのか?まったく理解に苦しみます。
頭のいい人は大変なんですかね?
人を貶める事により 自らを高める 卑しい人だ。
ブントがおかしいと思ったら 止めれはいいではないか 役員になるのが嫌なら 止めればいいではないか 自分の意志で行動して 人にその責任を押し付けるのか? ブントに関し西部先生は最後まで苦しんでおられた 三島についても異論がある 死者に鞭打つような見苦しい事を 仮にも文化人と言われる人がすることでは ないと思う、
この人はキリスト教に異常に対抗心を燃やしているね。これは明治新政府が対西洋の宗教として始めた近代神道に頼ろうとする余りキリスト教を自分を映す負の鏡としているからではないかな。
キリスト教信徒としての登録数は全人口の1%だろうが、クリスマスといいバレンタインデーといい、キリスト教式結婚式(神社の結婚式はキリスト教の結婚式を真似たものだよ)といい、年始の神社参拝程度にはキリスト教は日本人に親しまれているのではないか?
おもしろい話だね🤔
トランプアメリカはカネ詰まりでアジアから軍事的に去って行くわ❗北は戦車も戦闘機も石油が無くて機能しないわ❗でもミサイルで国防してるわ❗日本国は国防に真剣さが足りないわね‼️愚かだわね
もうマルキシズムでは国も世界も回せないわ❗その古いマルクス経済学が東大の主流ならば日本は終わりね‼️第一財務省が文科系から構成されているから機能不全ね‼️
非常に深い話有難うございました。西部さんとお友達である在米保守論者がいつもゴールを動かし、左翼の論理展開する保守がいますがこれで解けました。日本の歴史認識が重要ですね。
たかだか文学者、国文学者風情の連中の思考のレベルがいかに低いかということがよく表れている動画だなぁ・・・。加えて、他者の死というものを自分の都合のいいように解釈し(それをこの人物は正しいと思っているのであろうが、はっきり言って勘違い)、それをほとんどこじつけた形で「日本は敗戦したわけではないんですね!」みたいなことをのたまう・・・。もし西部邁がこれを見たらどう思うか・・・。まぁ取り合わないとは思うが・・・。結局、こういうのが、戦後の「自称保守」の典型的な姿であろう。
なんなんだ。
この浅はかさは。
おお、田中先生の真骨頂はこれなんだ。目から鱗です。
イスラエルから混血を繰り返して移動してきた部族 秦氏 →同◯
「近代ばかりやってる(学究してる)保守は危ない。」まったく慧眼(けいがん)です。西部批判であり、明治以降のインテリ左翼批判でも有ります。漱石は「吾輩は猫である」で、欧米かぶれを徹底的に笑い、からかいましたが、ユーモア小説で片付けられてしまいました。そして中期以降、伝統から切り離された文化人の深刻な心の孤独を描いてゆきました。今でもその問題は解決のついていない現代日本人の課題として存在しています。
タイトルに個人名を揚げておられるのでどんなことを語られているのかと見てみました。ひとつの意見として聞けないこともなさそうですが後半の主張には全く以って同意致しかねます。
批判だけすることを批判して、自分も批判だけしているという自己矛盾に陥っている。中身がない。
確か西部先生と同席したこともあるはずだ
こういいうのを死人に口なしという
人格低劣な輩
西部先生と違い、日本の思想界に何も後世に残すもののない奴だ
田中英道先生は、都立の名門「日比谷」から東大へ。その年が昭和35年、60年安保。今は亡き西部先生らと、国会に突入。この時、米国の傀儡政権である岸信介の首を取っていれば。また昭和43年、東大に全共闘が現れて時には、何とパリにいて、68年の5月革命をまのあたりにしていたんですね。左巻きの大学教授とはひと味もふた味もちがうわけだ。
何が言いたいのかさっぱり分からない。ユダヤ陰謀論に誰も興味を持ってくれないからって、故人を批判するのは違うでしょう。
2022年10月初めに拝見しました。
感想としては、失礼ながらあまりに楽観に過ぎると思いました。日本は無くなりそうですw
当時の事を考えると思想に反発して国会になだれ込んだらその先が無かったという話はゾッとしますね。
しかし若いときに他の思想にぶつかって自己を通した後、虚無感に襲われるという経験は必要なのかなと感じました。