日本で唯一天皇陛下(第三十二代崇峻天皇)を暗殺した人物、蘇我馬子。蘇我氏四代:蘇我稲目、馬子、蝦夷、入鹿と聖徳太子の関係から、蘇我氏とは何か?蘇我氏が推進した仏教とキリスト教の関係とは?飛鳥大仏の秘密とは?蘇我氏のルーツである武内宿禰と秦氏の真実とは何か!?徹底解明!
田中英道「蘇我氏の本性とは何であったか」日本国史学会 連続講義
令和4年1月8日 日本経済大学
紹介書籍:
『聖徳太子 本当は何がすごいのか』田中英道(育鵬社)
『聖徳太子虚構説を排す』田中英道(PHP)
『蘇我氏四代:臣、罪を知らず』遠山美都男(ミネルヴァ書房 / 2006年)
『蘇我氏の古代学』坂 靖(新泉社 / 2018年)
◇主催:日本国史学会
田中英道ホームページ | 「美の探究者、歴史と思想を語る」
http://hidemichitanaka.net/
入鹿は斑鳩殿と呼ばれていたのを忌み名にしたのでは?
言われてみれば、鄧小平とジョージ・ソロスって顔似てる。
「蘇我氏が聖徳太子とともに仏教を支持して物部氏と戦い勝った。」
>聖徳太子とともに仏教を支持して、・・・・・これは、明らかに「聖徳太子は(熱烈な)仏教信徒だった。」という前提の仏教至上主義による歴史観。というより大嘘の捏造歴史であって、史実は「聖徳太子は仏教徒ではなかった。太子は中立な立場で物部氏とは敵対関係ではなかったというのが史実。聖徳太子自身は古神道の宗源道の信者だったが、幼少期から神道と仏教の宗教争いが元になる血生ぐさい権力闘争に辟易して育ち、後年、摂政(官僚の長)となって官僚への戒めとして「和(宗教権力闘争するな。)」を説いたのです。つまり伊勢神宮の「神典」とされる『先代旧事本紀』に記されている「17条憲法」(『日本書紀』に記される17条憲法とは内容が異なる。)のように「(2条)篤く三法を敬え。三法とは需教、仏教、神道をなり。(官僚は宗教差別などするな。)」とです。ところが後年、太子、一族亡き後、仏教至上主義者の道慈という悪たれ坊主が執筆した『日本書紀』では該当部の17条憲法の2条の「篤く三宝を敬え。三宝とは仏、法、僧なり。」と、太子の意志は異なる内容にされてしまったのです。太子は『先代旧事本紀』に記される明白な意志で官僚養成所の斑鳩寺(神社)を建立しました。「儒教、仏教、神道を教える学問所」としてです。田中さんというか日本の大勢の聖徳太子歴史館観は「聖徳太子は熱心な仏教擁護者だった。」というものですが、これは仏教界が主導する権力機構によるプロパガンダによって捏造された歴史観でしかありません。その綻びの代表例が法隆寺に関するの謎めい歴史なのです。現在も仏教界主導の文部省歴史教育では、「法隆寺は聖徳太子が仏教を広めるために建立した寺。」ということになっているが、これはまったく「嘘歴史」なのです。そもそも「法隆寺」は、聖徳太子夫妻亡き後、太子一族が蘇我氏によって皆殺された(全員、自害に追い込まれた)後に、その場所に「祟り」を恐れた蘇我氏が建立したものです。斑鳩寺(元は神社、学問所)は聖徳太子が建立したものですが、法隆寺は違うのです。特に戦後は、「皇国史観」排斥運動を利用して、仏教界は仏教布教に都合が良いように捏造した歴史教育を紊乱させてきているのです。その他、四天王寺に関する歴史なんかも同様です。
全て操作された虚偽、虚言の歴史です。 真実の歴史とは、劣性遺伝子病気感染者で有る、社会不適合者の人種は、淘汰殺戮処分する事です。 神様は、これしか、言いません。
最初に来た民族集団が香取神宮を建て・・・・ その後に来た集団が負けじとより太陽に近いとこに鹿島神宮を建て・・・・・・・妄想・・・
曽我氏がキリスト教だとすると聖徳太子、秦氏は仏教を入れてキリスト教国化するのを防ごうとした?曽我馬子、曽我入鹿はキリスト教で曽我氏自身も一枚岩ではなかった。古事記、日本書紀はキリスト教化を恐れて日本国の独立性を保守文化を保持しようとして史書を作った?
大乗仏教は紀元後、キリストの弟子トマスがインドに伝道したときに仏教僧が聖書記事を模して法華教を作ったのが始まりだと言晴、チベット経由で長安に伝えられたと言われていますがいかがでしょう。次元が一寸合わないと思います。
蘇我氏の時代はまだ宮廷仏教だろうと尾も腫れます。
「尾も腫れます」を「思はれます」二訂正します。失礼しました。。法華響にはじめて接したのは空海が初めで空海はb京の秦氏を訪れ、比叡山系の法然を生み出したのが順序だと思います。親鸞の浄土真宗は明らかにキリスト教に似ています。富山市の新庄のお寺の亀谷先生の「仏教からキリストへ」の著書に詳しく書かれていました。
面白い!
渡来人っていうけれど、半島南部にはそもそも日本人が住んでいたのでは?
今回も田中英道先生のお話は、とても勉強になりました。
ありがとうございます。
木と岩を信仰する国・・・確かに日本のようですね。
釈迦仏教は男性だけの出家です。キリスト教と全く関係ありません。紀元後使途斗升がインド宣教した時に福音書から仏教が法華教として立ち上げたもので小乗仏教と分かれたのが本来の歴史です。
推論は必要ですね。ユダヤの外来人の蘇我馬子が中国人の 漢直駒 を使った。そうでなければ起こりえない崇峻天皇のこと。
レクチャーというものはアップテンポで問題点と考察結果を言って、その過程とマテリアルを説明するのが一番理論的でわかりやすく時間的に効率が良い。彼は聴いていてイラつく.自分のノートに目がいく頻度を見ていて本人の能力が疑われた。
田中先生は自分の想いと納得がいかないことを混ぜて言うので主観的である。そもそも歴史はイメージで作られているので語り手の政治的意図で変わります.彼の場合は天皇崇拝主義者で天皇象徴が日本人の本質と信じているので天皇暗殺は非国民という第二次世界大戦前の考え方。
彼の一番の問題点は最新の研究からという言い回しで、そのデータを提示しないこと。これは学術的なルールに沿わず価値は認められない。
日本は世界最古の国家であると言う発言は笑い物だ。そもそも何を国家の基準とするのだ。部族、都市国家は石器時代からあります。スメール、メソポタミア、インダスと比較したらアニメ的発想です。木材資源の多い地域でもあえて石やレンガで都市を作った文明を国と呼ぶか、ログキャビン大集落を国家とするか… アボリジニを世界最古と主張しても
いいはず。
自分からみると過去30年の良い所つまみ食いの材料を使って和風料理にしたと言う比喩です。
カルチャートークとしては面白いが、私は彫刻学部と応用物理学部に行っていたので客観的なベースを持って自分のビジョンを立証すろアプローチをセオリーとしている。
彼はそれが出来ないので物知りのコーヒートークのレベル。学会で発表するレベルではないので一部でしか受け入れられないだろう。日本ではピアレビューってしないの?
真面目な話、博士号を多数持っている外国人は多く、海外のコーヒーショップ、バックパッカーでこのような視点を変えた話はよくしました。その面白さはよくわかります。
竹内宿禰について。鳥取市国府町に「因幡国一の宮 宇倍神社」があり、ご祭神は竹内宿禰です。明治32年に発行された「五圓
」紙幣の図柄に竹内宿禰と宇倍神社が印刷されています。また、竹内宿禰は第12代景行天皇より成務、仲哀、応神、仁徳天皇の5朝に仕え、わが国で最初に「大臣」の称を賜っています。
ユダヤ人の定義は血統が正当ユダヤ人とユダヤ教に改修したユダヤ人、大きく2つにわけられます。血統的には全く別もんですね。
ユダヤ人をひとまとめに考えると問題かと思われます。日本は正当ユダヤ人が多くで考え方もまるで違う全くの別人種です。
根本的に、砂漠で生まれた【一神教】を基礎にしている思想の社会と日本の様に自然に恵ま
れた【自然道】を基礎にしている思想の社会ではその社会の在り方は非常に異なりますよね!
喋り下手やのお
埴輪の時代のユダヤ人がシルクハットかぶってるわけないですよ。
実際に切った人は唐人です。二人ではないです。これももっと深ほりして、なぜ、教科書にはあのように書いてあるか検討しなければいけません。
縄文譴責が、関東、東北道に多いのは九州、南日本で、鹿児島の海底火山の大噴火があって、滅亡下からではないですか?そこへユダヤのディアスポラでたどりついた人たちが天孫降臨して、国を作ったのではないですか?
蘇我氏は、ユダヤから来て豪族、征服して栄華を、滅ぼされて新羅と一緒になって朝鮮から来たことに言うているのでは、ないですか?
伊藤博文が孝明天皇を暗殺しましたけどね。あとユダヤ人という用語は「ユダヤ教徒」という意味しかないのでヤメタ方がいいです。使うならば「イスラエル民族」の方が正確です。
「蘇」って漢字そのものが「草冠に魚ノ木」と書くので荊冠を被った魚(イクスース)の柱(神)でイエス・キリストを表している
馬子で有れ聖徳太子や秦河勝にしても記紀以外の文書、特に藤原氏が隠匿して居る物には古代の人物の本名が載って有ります、鎌足や蘇我氏も皆、物部氏からの氏族から見ても表面の歴史の嘘が多多有ります、秦氏や忌部氏族も此の時代迄隠しに隠した物が有り、今現代鍵が開かれ、これから起こる日本国の大変革が始まります。
歴史は勝者が作るということを考えずに、日本書紀をそのまま信じていることに唖然とする。
自民党も嘘つき集団だから、政治家なんて、皆同じだよね。中国共産党だけではない。これを五十歩百歩という。
🇯🇵ロシアは勝ちます。天皇制は無くなります。
時代が下って、明治時代の孝明天皇も、当時日本にやって来た、マゼラン商会のユダヤ商人が、暗殺したことになりますよね。
ユダヤの血は入ってると思いますが、、正統ユダヤの黒い帽子は1200年代に区別のために
被るようになっただけで、ハニワの時代?⒲ 関係ないですよ
今の蘇我氏が居るとある場所は人間的には良くは無いです。
追い出されたのではなく、他人を邪魔にします。
埴輪の姿、仏像の顔について、これは大変に気になるところです。面長で鼻が高いという仏像ですが、各人種の容貌、体型、また、民族衣装と並べると、いろいろ見えてくると思います。私は、博物館で、インドの仏像の展示を何度か足を運んでいますが、それとは別に、職場にはインド系の人が多い会社に居ました。土日に大量の仏像を拝見した翌週に、職場の同僚に会うと不思議な感じがしたものです。
なお、日本書紀では、蘇我氏は武内宿禰の後裔、つまり、皇別ということなのですね。ところが、新撰姓氏録では、蘇我氏は諸蕃となつているのですね。とても興味深いと思います。
何か要を得ないlecture ですが、曽我氏は Esutorian Christian であった。 そして、聖徳太子の思想にも多分にChristian 的なところがある.
太子の建設による 四天王寺 にも Christian的な 景教的な 役割 を持った奉仕をする場であったのでは無かったか?
55:30 「フランスに行ったら…」、だよなあ。
出張でフランスに着いたとたんに荷物を持っていかれた馬鹿がいたっけ。
そいつの家、神道信仰していた。
なるほど、合点がいくな。
よく聞いております。教えられることばかり。親鸞聖人も大変に聖徳太子を尊敬されておりそこから特にいろいろ学んでおります。これからも期待しております。お元気で!
素晴らしい講義を手軽に見れて大変ありがたいです。
まず、『日本書紀』での宗教に関する歴史に考察するとき、最も重要なことは「原本は存在しない。」ということ。そして「『正史』として歴史書は権力者が権力者に都合いいように書いた。」ものなのです。
田中さんの、聖徳太子、蘇我氏観は、完全に倒錯したもの。
田中「蘇我氏はネストリウス派のキリスト教信徒のユダヤ人だった。」、ダブルトリックなど支離滅裂。
代表例:蘇我氏の祖先、武内宿祢は3世紀の人。「ネストリウス派」はエフェソス公会議(西暦430年頃)に発生したもの。蘇我氏が仏教でなかったという物的証拠は一切無い。
一、「法華経」(「嘘も方便」の思想)を聖典にした人たちが記述した歴史(書)は、いかなるものも信じてはならない。
二、「日本における本格的な仏教寺院としては最古のものである[3][4]」
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/四天王寺
大嘘である。
四天王寺は、元元は仏教寺院でなく、古神道(造化三神崇拝)の聖徳太子が景教(東方キリスト教、三位一体」教義)信徒の秦河勝に親和性を持ち、四箇院などの慈善事業を重視する東方キリス教精神に非常に感心して建立した教会・神社(木炭化した鳥居が発見されてるから仏教寺院ではない)だったもの。聖徳太子亡き後、聖徳太子一族が皆殺しされた後、天台宗(法華経が聖典)に乗っ取られ、後、現在に至る。そもそも仏教には、当時も今も、「慈善事業精神」(貧しい人のための無料の病院事業や孤児院などを含む)は無い。まともなキリスト教団は、ほぼ100%に近く、病院を含む慈善事業施設を設置運営しています。
三、「蘇我氏、物部氏の戦のとき、14歳の聖徳太子が蘇我氏勝利のために祈った。」と記述される『日本書紀』だが、さて原本は?というと存在しないのです。「17条憲法」と同じく、該当箇所は聖徳太子亡き後、道慈という仏教至上主義者(「嘘も方便」の法華経信仰者)が「仏教に都合のよい歴史観」で執筆したとされる。
「14歳、聖徳太子が蘇我氏(仏教派)勝利のために祈った。」という記述は、嘘の蓋然性が極めて高い。
何故なら、幼小期~当時の聖徳太子は、中臣御乞子(中臣鎌足の実父、神祇伯だったという説が有力)から古神道を学んでいたわけで、秦氏とも親和性があった神社神道派の物部氏守屋に対する敵対意識は考え難い。守屋(モリヤ)、とはユダヤ教、キリスト教で聖地とされる(アブラハム、イサクに燔祭の話で登場する)モリヤ山を意味する。モロに、物部氏もユダヤ教の影響を受けている証拠です。だから仏教至上主義の蘇我氏は憎んだ。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/モリヤ_(聖書)#bodyContent
四、田中「聖徳太子は仏教信者だった。」
大嘘。太子の存命中での仏教信徒としての物的証拠は何もない。神社神道の証拠はいくらでもある。代表例は、斑鳩寺(「和」のための宗教争い、宗教差別を戒める、儒教、仏教、神道の教養養成、学問所、)や、聖徳太子存命中は四天王寺は神社(四箇院の慈善事業の教会)
五、田中「秦氏(景教信徒)は日本(仏教)に同化した。」
これも倒錯歴史観。古神道や大乗仏教の信徒らがユダヤ教や景教の教義、思想に同化したのが真相。
六、田中「『蘇我』は『我よみがえり』の意味で、キリストの意味だ。」
「我、よみがえり」思想は、仏教にもある。「輪廻転生」
七、田中「蘇我氏(3世紀以前に渡来)はユダヤ人で隠れキリシタン、ネストリウス派(5世紀発生)だった。」
妄想以外の何物でもない。(3世紀以前に渡来した)蘇我氏がネストリウス派???
武内宿祢はペルシャ人だったという可能性はある。
八、田中「法隆寺の釈迦三尊像は、蘇我氏は実は隠れキリシタンだったが、聖徳太子が仏教を固くなに変えないので暗殺して、自分も仏教徒の振りをするために仏像を祀った。。」(妄想によるダブル・トリック論の典型)
九、田中「蘇我氏(景教、ユダヤ人)は聖徳太子が仏教に固執して、景教やユダヤ教に改宗せず、一族もそうだったので、皆殺した。だから中臣氏に仇をとられた。」支離滅裂の極み。
中臣氏(神社神道の祭司職、最高位の神祇伯の家系)にとっての「仇」は、神社神道の物部氏を滅ぼし、秦氏(初期景教徒)と親しかった古神道の聖徳太子とその一族を滅ぼした仏教至上主義の蘇我氏であって、だからこそ神道派に復讐されたのである。古神道の聖徳太子と親しかった秦氏一族は、聖徳太子一族が蘇我氏によって皆殺しされた(秦河勝も暗殺されたとされる)時、一時は諏訪の地に避難したが、その後、乙巳の変が起き、中臣氏の加護もあって、その後、1000年近く現在も宮中で雅楽隊員などとして活躍できてる。
十、田中「神道は自然を大切にして・・・」神社神道の歴史をわかってない。聖徳太子時代(日本書紀以前」の神道は八百万神信仰ではない。「造化三神」教であった。
十一、「キリスト教は仏教を研究して真似た。」(爆笑
大乗仏教こそが、西暦1世紀、トマスの布教、伝道の勢い(仏教からキリスト教に改宗するものが激増して)危機感を持った小乗仏教だった当時のインド仏教界が、「永遠のキリスト」→「永遠の釈迦」、「至聖三者、三位一体」→釈迦三尊像、「(四天使)ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル」(景教では四箇院という慈善事業の四天使の霊)を真似て(日本では聖徳太子亡き後)「四天王」の名をでっち上げたのです。
最後に決定的な事象。皇室では、たびたび、旧約聖書、新約聖書をお読みになったり、神父、牧師などを招き、講義を御受けたりなさっています。今日でも、秦氏の子孫は雅楽隊としてや、「ハタオリ」や、そのための養蚕の儀などで明治維新以降、復活された儀式などで活躍されています。
田中さんは、比叡山延暦寺の天台宗原理主義(法華経が聖典)、仏教独善歴史観であって、聖徳太子を暗殺した蘇我氏を無理やりにユダヤ教とかキリスト教として仕立上げ、権力を利用して「仏教以外は悪者」という飾粧歴史観をデッチアゲようとしてることが明々白々です。
だいたい、チャネル桜の面々は最近、「八紘一宇」賛美で、国柱会(日蓮宗系の新興宗教団、満州事変正当化の先鋒組織)支持の姿勢が顕著。
そういう国柱会、創価学会のような権力と癒着して堕落の道を選ぶから、かつては信長らに焼き討ちされたりするんだと思いますね。他の(日蓮宗を除く)、各宗派、真言宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗は、いずれも「大乗仏教は、インドで原始キリスト教の影響を受けたもの」、と悟ってんじゃないですか。特に最近は・・・
もう少し準備して流暢にしゃべれないかね。